2018年01月28日

余韻とはなにか

「そのストーリーがもたらした意味」を、
振り返って考え、整理する時間のことだと思う。


後日談を描きすぎず、
ワンシーンで終わらせるコツは、
これのためかも知れない。

結論はこれです、
と明示するのは野暮だから、
ふっと終わって、
残りを想像する余地を与えておくとよい。


あれはどうなったんだ?
回収されてないやんけ、
と、モヤモヤが残るのは余韻とは言わない。
それは出来ていない物語だ。

きちんと完結して、
テーマも確定したのに、
そのことが主人公にもたらした意味を、
その後の姿をちらりと描くことで、
確認して、多くを想像することができるのが、
いい余韻だと思う。


僕がそれをはじめて知ったのは、
「銀河鉄道999」の劇場版かな。
旅の回想が重なり、
限りある命のほうが価値があるんだ、
というテーマのことを、
ずっと考えていた。小学生ながらにね。
で、多分このことは今でも考えることがあって、
そういう意味で999は、まだ余韻が残っている。

おそらくそれが、一生に影響を与える、
物語の本質ではないかと思う。


本当に価値のある冒険ならば、
それが一生余韻を与える。
ラストシーンは、
そのようにスパッと終わるとよい。

暗転して、その意味を考える、
テーマ曲が流れる前の数秒間が、
僕は大好きだ。
posted by おおおかとしひこ at 10:22| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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