2018年01月28日

ニコイチはやめよう

元々何の用語だろ。
事故車を半分ずつ溶接して、
二個の車を一個の車として売る、
というのが僕がニコイチを知ったきっかけだが。

設定のニコイチはやめよう。
溶接部分から必ず亀裂が入るよ。


これは、「大きな嘘はひとつまで」という、
フィクションの原則を裏から見ている。

ひとつだけ嘘をついて話を始めたはいいけど、
大概物足りなくなって、
あるいはこれで勝負するのは自信がないとなって、
ついついもう一つ嘘を足してしまう。

最初は問題ないように見えたが、
なんとなくそれらが齟齬を起こし、
二つの話が入っているように思えてくる。


その典型的なものがファイアパンチで、
「不老不死」の話と、
「燃えない炎の復讐譚」の話が、
ニコイチになってしまっていると感じた。

で、燃えない炎の話は、
ドマとトガタの死で終わってしまっていて、
不老不死の話だけがずるずると続いて、
なんとなく数千万年後で完結した。
中折れの印象
(トガタが死ぬまでは良かったのにその後グダグダ)
があるのは、
ニコイチの溶接点が折れた、ということだよね。、

ニコイチは、それらが表裏一体の関係になり、
「ひとつの大きな嘘の裏表」になるとよい。
つまり、
消えない炎と不老不死は、
ともに祝福というナノマシンのアプリなのだから、
ナノマシンアプリをどうすれば制御できるのか、
ナノマシンアプリを作った人解除できる人、
つまりあの世界でいうところの旧世代人が登場すれば、
ニコイチの話がひとつに統合できたはずだ。

まあそれでも「ファイアパンチ」というタイトルが、
宙ぶらりんで放り出されることになる。
ファイアパンチは消えない炎のほうのタイトルで、
不老不死のほうのタイトルでもなく、
それらを統合するアプリのタイトルでもないからね。

ファイアパンチはなんだか面白そうな感じがしたが、
やっぱりどう考えても傑作にならないのは、
このニコイチの感覚がずっとあるからだろう。


結局世界は陰陽である。
そして陰陽は同じものの違う側面だ。
そこに別の陰陽と別の陰陽が混ざらずに同居すると、
とっちらかってまとまらなくなってゆく。


ニコイチの最大の原因は、
「これじゃおもしろくないかも」という不安だ。
「このたったひとつの嘘で、
これだけ面白いものが書ける」という確信もなしに、
書き始めるのが悪いのだ。
ということはつまり、
プロットを考えて、
その嘘で行き切れることを確認するしかないんだけど。

たかがライブ感ごときで、その綿密な計画を果たせるわけがない。
posted by おおおかとしひこ at 16:07| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ジャンプ+で先週から始まった「地獄楽」の批評してください。
ファイアパンチでアシスタントやっていた方の作品で、主人公が不死身なんです。
Posted by 棒卍 at 2018年01月29日 13:08
>棒卍さん
>
>ジャンプ+で先週から始まった「地獄楽」の批評

暗転して結果を出す悪い癖まで継ぐ必要はないのに。
説明>感情移入でしたね。
説明の要素を減らせば良いのでは。
処刑の説明はなくて、
すでに〇と〇と〇を試した不死の男に、
女がやってくるところから始めれば良いのに。

小説と挿絵みたいな感じで、
漫画を読んでる感じがしなかったのは、
「現在」よりも「過去」が多かったからでしょう。
現在をおもしろくするチャンスが「火法師」の場面のはずが、
オイオイファイアパンチかよと苦笑。
Posted by おおおかとしひこ at 2018年01月30日 09:51
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