人の話を聞いた時、人は総括する。
ああ、大体ここが中心で、ここが大事なのだと。
それはその場で行われる記憶の圧縮だ。
それが、あなたの話でも起こるだけのことだ。
どんな風に書いたとしても、
人はあなたの話を総括する。
それは細かいところまで覚えられないからである。
どんなに気をつけて細かい細工をしても、
その時は覚えていても、
あとに残るとは限らない。
それは、総括が行われるからである。
校長先生の朝の挨拶。
政府からの広報。
友達の今日の出来事。
〇〇の噂話。
フィクションの話。
なんでもいい。
全ての話は、要点を中心に総括される。
それは話のインデックスを作っていて、
それを元に長期記憶から呼び出すための構造化だ。
結局それはそういうこと。
それが総括だ。
それは、話の中にあったディテールが取られることもあるし、
話の中になかった何かで総括される場合もある。
たとえば「まんじゅうこわい」の総括は、
「人はどこまでも欲張りである」だ。
そんな言葉はどこにもないが、
そのように総括される話である。
「今から欲張りに際限はないって話をします」もないし、
「ほんとお前は欲張りだねえ」もないし、
「これは欲張りに際限はないって話でした」というサゲでもない。
にも関わらず、私たちは「今度はお茶がこわい」
という落ちにおいて、
「まったく欲張りに際限はないことだ」
と人の業について思いを馳せて、
笑ってしまうわけである。
その笑いの理由が総括になっている、
というのが、優れた落語ではないかと僕は考えている。
これは、
「たとえ作者が明示しようとしなかろうと、
総括は起こる」ということを意味し、
「作者が総括したいことと、
見た人の総括がずれることがある」
ということも意味する。
逆に、
「上手な語り手は総括の誘導が上手で、
下手な語り手は総括を誘導しようとして失敗している」
ということも意味する。
たとえば、総括に不要なパートが多く、
ノイズになる場合だ。
Aで総括したいのだが、
関係ないBCDなどもあり、
うまくAと総括できない、
というケースだろう。
まとまりきれていない、風呂敷を畳みきれていない、
テーマがぶれている、終わった感じがしない、
そういうものは、大抵、Aというひとつに総括しづらい構造になっている。
たとえば漫画「GANTZ」「ファイアパンチ」などが挙げられる。
総括するには余計なストーリーラインが多く、
整理されていないどころか、
投げっぱなしで放置されたものも沢山ある。
それは結局総括をしきれず、終わった感じがしない。
それを口語で言えば、
「結局なんやったん?」
「何がいいたかったんや」
「バラバラやないかい」
「モヤモヤするわ」
ということに他ならない。
フィクションのストーリーは、
「言いたいこと」があるわけではない。
主張や演説や情報は言いたいことがあり、
それが伝わるように構造化されるべきで、
総括が言いたいことの要点になる必要がある。、
しかしフィクションのストーリーは主張ではなく、
お楽しみである。
が、リアルな主張や情報と同じように、
要点と構造のある、総括しやすい構造であるべきだ、
というのが僕の考えだ。
結局なんなのか、
モヤモヤしておしまいは、
要するにスッキリしないからだ。
私たちは何のためにフィクションを見るのか。
スッキリしたいからだ。
嫌なことが現実であったり、
複雑な現実の前で立ちすくんでいるから、
少し簡単にした世界のフィクションを楽しんで、
スッキリしたいからだ。
(その簡単にしたレベルで、
幼児向けから大人向けまでたくさん階層がある)
スッキリするというのは、
総括がストレートにうまくいく、
ということに他ならない。
総括は、
「悪は良くない」「努力は報われる」
「人のために生きた方が最終的にはいい」
などの、比較的簡単で広範囲に応用のきく、
道徳的古典的価値なものから、
「人の欲張りに際限はない」のような、
皮肉の効いた告発から、
ピンポイントで現代的なものから、
様々なパターンがありえる。
新しくて手垢のついてないものもあれば、
古典的でも価値のあるものもある。
広く受け入れられるものもあれば、
ピンポイントで刺さるものもある。
すぐ忘れてしまうものもあれば、
ずっと覚えているものもある。
現代にしか価値がないものもあれば、
時代を超えるものもある。
あなたの話した物語は、
それを聞いた人の脳の中で、
総括される。
あなたがそれを誘導することもできるし、
あなたの意図していない受け取り方をされることもある。
その総括の最終形を、
あなたが最初から見えているのが理想だ。
で、
この総括されたなにかを、
テーマという。
テーマは作者の言いたいことではない。
フィクションで言いたいことを言うのは、
メディアを間違えている。
言いたいことがあるならストレートに言えばいいだけのこと。
フィクションとは、
それが明示されていないのに、
上手に総括する遊びである。
そのようにコントロールするのが最上だ。
それが出来ていないのは、
出来ていないダメなストーリーである。
2018年01月29日
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