2018年02月04日

とんでもない理想郷か、とんでもない地獄か

見世物の本質的なこと。



ぬるいものはどうでもいい。
考えうる、ものすごい理想郷を考えよう。
逆に、考えうるものすごい地獄を考えよう。

その理想郷が、なぜ、どうやって成立しているのかを考えよう。
理想郷の基盤というか。
たとえばバブルが何故成立していたか、その基盤を考えよう。
そういうリアリティを、
フィクションに生かしても生かさなくてもいい。
リアルと遜色のない架空を作れればいいだけのこと。

逆に、どうしてそういう地獄が、
地獄のままなのか、
どうやって成立しているのか、考えよう。
たとえば、貧困について考えてもよい。
それを抜け出せない理由、
それが負のどういうループになっているかを考えよう。


あなたは社会学者や政治家ではないので、
それを解決する必要はない。
ただ、それがなぜ成立し続けるかについて、
ある程度のリアリティをもって語れれば十分である。

で、成立している基盤が出来て、
はじめてディテールを詰めていこう。
どういう理想があり得るのか。
どういう地獄があり得るのか。

勿論ディテールから考えてもいいんだけど、
ディテールに夢中になって、
大枠を考える気力が先に切れるので、
大枠を先に考えておいて、
その中でディテールをつくっていくほうが、
最終的にしあがるものをつくりやすい。


見世物は、中途半端なものは、誰もみない。
「どこよりもすごい、えげつない地獄」か、
「どこにもあり得ない、ここだけの楽園」か、
どちらかが、見世物の本質だ。

人は、日常にないものを求める。
東北の地獄のあとは、
みな楽園を求めた。
平和ボケしていた時代は、
みなえげつないものを求めて過激に走った。

面白いものとは、
一種の逸脱である。
逸脱しきったその先は、
理想郷か地獄しかない。
なので、そのマックスを考える訓練をして、
実際何故それが続いているのか、
その理由を考えるとよいであろう。



そして、
その地獄から理想郷に、
ジェットコースター的に変化していくと、
最高の物語になるだろう。
その落差を作り、
リアリティある変化をつくった者が、勝ちである。
posted by おおおかとしひこ at 00:55| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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