2018年02月05日

「分りやすい」とは、絵になること

この場合の「絵になる」は、
「いい絵が出来る」ということではなく、
「抽象的だったものが、具体的な絵を生む」
というレベルでの「絵に成る」
ということで議論する。



逆に、「分りにくい」とはどういうことだろうか。
「絵として想像できない」
ということではないだろうか。

政治の仕組みは分りにくい。
法律の仕組みも分りにくい。
わざと庶民に分かりにくくして、
ツッコミをさけているんじゃないかとすら思う。

数学も分かりにくいものの代表だ。
相対性理論なんてちんぷんかんぷんだ。

しかしあなたは、
物語の中で説明をしなければならないことが多い。
政治や法律の仕組みを分からせる必要はないが、
ストーリーに直接かかわる部分については、
分かりやすく説明する必要がある。

で、
それは、
「絵で説明できるようにする」といいよ、
ということだ。

たとえば、
「高くて、誰もが落ちたら死ぬ崖」
を説明したかったら、
「誰かが落ちて死ぬ」
という場面を作るのがよい。
「この薬を飲むと死ぬ」
を説明したかったら、
誰かが誤って飲み、
のたうち回って死ぬ場面を書くと良い。

そうやって、
なるべく説明を減らしていくと良い。


問題は、説明がややこしくて、
言葉による説明しかないときだ。

これも考えるのだ。
「絵で説明できるように、
物事を簡単に出来ないか?」と。

複雑な仕組みの説明では、
必ず絵を描いて人は理解する。
「借金の仕組み」とか、
「ワークフロー」とか、
「組織図」とか。

その絵を作る過程で理解や記憶が進むことがあるので、
教科書にある図は、
一度何も見ずに描いてみる、
という訓練が受験生にはおすすめだ。
(受験生はここを読んでないか)

つまり、「絵は理解」で「理解は絵」だ、
と言おうとしている。

逆に、「絵で理解できないこと」は、
「分かりにくい」ということ。

相対性理論は複雑で、
理解には時間がかかるが、
「地球を出発した、亜光速で進む宇宙船と通信すると、
向こうの時間が遅れて見える」
というシーンを見せられれば、
一発で何が起こっているか、理解できる。
それがどうして起こっているかは謎でも、
すくなくとも「何が起こっているか」は理解できる。
「通信速度が、宇宙のスケールから見ると遅い」
「光が遅い」
という理解でもいいと思う。
勿論この場合は「光」は想像の中にいるが、
想像の中で光が宇宙の中を進んでいる「絵」は浮かぶ。

政治や法律や数学が理解がむずかしいのは、
このような「絵」が浮かびにくいものを扱っているからである。

もっと簡単にいうと、
抽象的なものを理解することはむずかしく、
具体的なものを理解することは簡単だ。

だから、「例を示す」というのは、
抽象的なことの説明に、
具体を持ち込む行為である。

崖は落ちたら死ぬことくらい想像の絵の中にあるが、
この薬は即死であるかどうかは、
具体がないと想像できない。
「飲むと即死だ」と説明されても、
具体を見るまで、
ほんとうにその危険を理解することはないだろう。
我々が津波の危険の警鐘をされながら、
実際の東北の津波を見るまで、
その恐怖を想像できなかったように。

実際の絵で示すのがベストだけど、
別のものに置き換えることもできる。
「脳は豆腐にたとえることが出来る。
ノックアウトするのは、こうすることさ」
と、水の中の豆腐を揺らし、
入れ物にぶつけるシーンを見せると、
我々は、
ノックアウトのときに何が起こっているのか、
「理解できる」というわけだ。
(脳は見れないからね)

いま思えば、
津波に警鐘を鳴らしたかったら、
それを水槽模型で再現すればよかったんだよね。
我々は津波を、単なる高波だと思っていた。
見たことないから。
でもそれは「大きく水の塊が来ること」
だと、見て初めて知った。
すぐ終わらない水の塊だと知るためには、
水槽で塊を移動させる示演をすれば、
我々は津波を「理解」できただろう。


たとえ話が説明で有効なのは、
「絵」が浮かびやすくするためである。
たとえ抽象的なものでも、
具体に落とせるからだ。

ビットコインは抽象にすぎないが、
「仮想通貨」と、「通貨」の具体を得ると、
なんだか理解した気になる。
具体の力は大きい。
もっとも、実際にこれは通貨としては機能してないから、
実体のない先物取引であることは、
抽象で考えればわかること。
今回の仮想通貨バブルおよび暴落は、
「数を呼んで釣り上げて、
価値が上がったところで売り抜ける」という、
単なる仕手戦であったことくらい、
誰でも分ることだろう。
これの「通貨という間違った理解をさせること」
そのものが、悪辣な詐欺であると思う。

つまり、
ビットコイン詐欺から我々が学ぶことは、
「具体を使って嘘の説明をすることが出来る」
ということだ。

ビットコイン詐欺はほとんどねずみ講と同じだ。
ねずみ講も、
「誰でも知り合いは〇人くらいいる」
という嘘の具体イメージを作る。
実体は、〇を何乗かするとすぐ日本の国民の数を超えるというのに。
(日本人全体が、
3ステップくらいの知りあいで繋がるという仮説がある)



つまり、
具体の説明は、抽象の「全ての説明」でなくてよい。
「使うところだけの理解」さえあればよい。


ビットコインは悪意をもって具体の説明をしたが、
我々の説明はどうだろうか。

うまく観客をだますことに使ってもよいし、
時間を省略して、
スムーズに本編に入る手助けをしてもいい。



まず説明が下手なら、
「それがどういう絵になっているか」
を考えてみてはどうか。
その絵の共有が、理解だと思うといいよ。
posted by おおおかとしひこ at 13:17| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。