2018年02月06日

こだわり

こだわりには、二種類ある。
いいこだわりと、悪いこだわりだ。


いいこだわりの方は、元々誤用である。
「職人のこだわりの逸品」
なんてキャッチコピーがつくように、
ダメなものを削いで、徹底的に完成度を上げた、
最高に磨き抜かれた、
モチベーションの高いもの、
というような意味で使われる。

料理とか作品は、いいこだわりを持つべきで、
それに使われることが多い。

でも本当は「こだわり」は悪い意味に使う。
それの誤用でいい意味に転用される形である。
(同様の歴史をたどったものに、
「ヤバイ」「全然」「普通に」あたりがあるだろう)

拘り、と書く。
拘束する、拘束される、拘泥する、の拘だ。
つまり、一つのことに囚われて、意固地になっていることだ。

たいして面白くもない作品の、
どうでもいいディテールにこだわり、
予算を使って時間を無駄にするのは、
悪い拘りである。

あるいは、面白くなるかも知れない、
新しいアイデアを柔軟に受け入れて、
つまらない部分を直さないのは、
悪い拘りである。


拘りは拒否だ。

完成度を下げ、ノイズになるものを拒否して、
純粋なものにしてゆくこともこだわりで、
これ以上良くなる大胆なアイデアを拒否して、
ダメなもので安定しようとするのもこだわりである。

どちらもあるものを守るための行動だ。

そのあるものとは、「作品の目指す方向」である。


勿論、途中でぶれまくって周囲が迷惑に思うよりも、
一つにこだわるべきだ。

だが、「そもそもそれが面白いのか」は、
常に客観的にあるべきだ。

こだわる態度自体は人間の本能的な行為だろう。
問題は、何方向にこだわっているのか、
自覚しているかどうか、
客観的な視座があるかどうか、
ということではないかな。


あなたのこだわりは、良いものを生んでいるのか?
ただの悪いクソを生んでいるのか?
時々冷静になろう。

冷静になれないから、
前に決めたことを墨守するのも、
間違ったこだわりだ。

冷静になるのも訓練しないと出来ないものだ。
(簡単なやり方は、全然関係ないことをしたり見たりする。
映画だと違うジャンルの名作を見たり、
テレビのバラエティを見たり、
音楽のコンサートに行ったり、
彫刻を作ってみたり、
あるいは山登りをしたりする。
料理や家の掃除をする人が、結構多い)

冷静になっても冷めてはいけない。
冷静になり、かつ一番情熱的にならなければならない。
冷静と情熱の間は、私たち作者が一番往復する。


あなたのこだわりは何か?
それは伝わらなくてもよい。
縁の下の力持ちは、氷山の下の部分くらいある。
それが、いいこだわりか、悪いこだわりかが、
重要である。

何から守っているのかを考えれば、
冷静に判断できるかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 10:32| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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