こだわりには、二種類ある。
いいこだわりと、悪いこだわりだ。
いいこだわりの方は、元々誤用である。
「職人のこだわりの逸品」
なんてキャッチコピーがつくように、
ダメなものを削いで、徹底的に完成度を上げた、
最高に磨き抜かれた、
モチベーションの高いもの、
というような意味で使われる。
料理とか作品は、いいこだわりを持つべきで、
それに使われることが多い。
でも本当は「こだわり」は悪い意味に使う。
それの誤用でいい意味に転用される形である。
(同様の歴史をたどったものに、
「ヤバイ」「全然」「普通に」あたりがあるだろう)
拘り、と書く。
拘束する、拘束される、拘泥する、の拘だ。
つまり、一つのことに囚われて、意固地になっていることだ。
たいして面白くもない作品の、
どうでもいいディテールにこだわり、
予算を使って時間を無駄にするのは、
悪い拘りである。
あるいは、面白くなるかも知れない、
新しいアイデアを柔軟に受け入れて、
つまらない部分を直さないのは、
悪い拘りである。
拘りは拒否だ。
完成度を下げ、ノイズになるものを拒否して、
純粋なものにしてゆくこともこだわりで、
これ以上良くなる大胆なアイデアを拒否して、
ダメなもので安定しようとするのもこだわりである。
どちらもあるものを守るための行動だ。
そのあるものとは、「作品の目指す方向」である。
勿論、途中でぶれまくって周囲が迷惑に思うよりも、
一つにこだわるべきだ。
だが、「そもそもそれが面白いのか」は、
常に客観的にあるべきだ。
こだわる態度自体は人間の本能的な行為だろう。
問題は、何方向にこだわっているのか、
自覚しているかどうか、
客観的な視座があるかどうか、
ということではないかな。
あなたのこだわりは、良いものを生んでいるのか?
ただの悪いクソを生んでいるのか?
時々冷静になろう。
冷静になれないから、
前に決めたことを墨守するのも、
間違ったこだわりだ。
冷静になるのも訓練しないと出来ないものだ。
(簡単なやり方は、全然関係ないことをしたり見たりする。
映画だと違うジャンルの名作を見たり、
テレビのバラエティを見たり、
音楽のコンサートに行ったり、
彫刻を作ってみたり、
あるいは山登りをしたりする。
料理や家の掃除をする人が、結構多い)
冷静になっても冷めてはいけない。
冷静になり、かつ一番情熱的にならなければならない。
冷静と情熱の間は、私たち作者が一番往復する。
あなたのこだわりは何か?
それは伝わらなくてもよい。
縁の下の力持ちは、氷山の下の部分くらいある。
それが、いいこだわりか、悪いこだわりかが、
重要である。
何から守っているのかを考えれば、
冷静に判断できるかも知れない。
2018年02月06日
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