2018年02月26日

【薙刀式】音声入力の可能性について考えてみる

実際のところ、音声入力は分速何文字なんだ?
今日薙刀式で日記を書く速度を測定したら、
分速117字であった。
これを越えてくるのかね。


色々検索してみると、
創作文に関しては100を下回る感じだ。

既にある原稿を淀みなく発音するアナウンサーは、
分速300文字が基準(NHK)である。

おそらく、録音されたものの文字起こしや、
既にあるもののコピータイピングに関しては、
300ないし200は出るだろう。
こういうものは、
音声入力に置き換わっていくかも知れない。

しかし、
自分の思うことを書いたり言ったりすることって、
たいして速くないんだよね。

どこかで一拍置いて考えないと次は出てこないし、
途中で言い直しもする。

喋る速度は出ないんじゃないか、
というのが僕の見立てだ。


音声入力で書いたブログなどを眺めていると、
「内容が薄い」と感じる。
書くことは煮詰めることでもあるんだなあ、
ということ。

その煮詰めには、音声は邪魔だと思うんだ。


つまり、
喋る程度の内容しか書けないやつは、
音声入力で十分で、
言う以上に雄弁に濃く書ける人は、
音声入力では不十分であると、
僕は考えている。

分速の話に戻すと、
結局言ったことを書いたことにブラッシュアップするのに、
時間がかかるので、
トータルの分速はタイピングでいいんじゃねえかと思う。


口述筆記は話に一貫性がなく、よれることが多い、
ということを知っている人なら、
書くことによる一貫性の訓練を怠らないはずてある。
言うことは夢に似ている。
書くことは、それを整えるのに使う。

書くことは、不断の訓練の末に獲得する、
特殊能力であり、
喋ることとの関連性はないと僕は考えている。

なぜはら、
喋りが面白くなくても書くことが面白い人がいたり、
喋りが面白くても書くことはつまらない人がいるからだ。

むしろ、喋りが苦手な人に、書くことが面白い人が多い。
口を奪われて手の才能が開花する感じだ。
喋りが面白くて書くことがつまらない人は、
喋りで十分で、書く努力をしてこなかったのだろう。


つまり、
音声入力は陽キャに向いていて、
タイピングや手書きは陰キャに向いている。

創作文は、主に陰キャのものだと思う。
ジョブスやさんまのような、
喋りが上手い人だけ音声入力を使いこなせばいいと思う。
我々書く者は、
それより密度の濃い、徹底的に考え抜かれた、
一貫性のある、珠玉の文で対抗しない限り、
陽キャに負けるだけだ。



その書く道具になるまで、
薙刀式は煮詰めていきたい。
posted by おおおかとしひこ at 13:37| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。