実際のところ、音声入力は分速何文字なんだ?
今日薙刀式で日記を書く速度を測定したら、
分速117字であった。
これを越えてくるのかね。
色々検索してみると、
創作文に関しては100を下回る感じだ。
既にある原稿を淀みなく発音するアナウンサーは、
分速300文字が基準(NHK)である。
おそらく、録音されたものの文字起こしや、
既にあるもののコピータイピングに関しては、
300ないし200は出るだろう。
こういうものは、
音声入力に置き換わっていくかも知れない。
しかし、
自分の思うことを書いたり言ったりすることって、
たいして速くないんだよね。
どこかで一拍置いて考えないと次は出てこないし、
途中で言い直しもする。
喋る速度は出ないんじゃないか、
というのが僕の見立てだ。
音声入力で書いたブログなどを眺めていると、
「内容が薄い」と感じる。
書くことは煮詰めることでもあるんだなあ、
ということ。
その煮詰めには、音声は邪魔だと思うんだ。
つまり、
喋る程度の内容しか書けないやつは、
音声入力で十分で、
言う以上に雄弁に濃く書ける人は、
音声入力では不十分であると、
僕は考えている。
分速の話に戻すと、
結局言ったことを書いたことにブラッシュアップするのに、
時間がかかるので、
トータルの分速はタイピングでいいんじゃねえかと思う。
口述筆記は話に一貫性がなく、よれることが多い、
ということを知っている人なら、
書くことによる一貫性の訓練を怠らないはずてある。
言うことは夢に似ている。
書くことは、それを整えるのに使う。
書くことは、不断の訓練の末に獲得する、
特殊能力であり、
喋ることとの関連性はないと僕は考えている。
なぜはら、
喋りが面白くなくても書くことが面白い人がいたり、
喋りが面白くても書くことはつまらない人がいるからだ。
むしろ、喋りが苦手な人に、書くことが面白い人が多い。
口を奪われて手の才能が開花する感じだ。
喋りが面白くて書くことがつまらない人は、
喋りで十分で、書く努力をしてこなかったのだろう。
つまり、
音声入力は陽キャに向いていて、
タイピングや手書きは陰キャに向いている。
創作文は、主に陰キャのものだと思う。
ジョブスやさんまのような、
喋りが上手い人だけ音声入力を使いこなせばいいと思う。
我々書く者は、
それより密度の濃い、徹底的に考え抜かれた、
一貫性のある、珠玉の文で対抗しない限り、
陽キャに負けるだけだ。
その書く道具になるまで、
薙刀式は煮詰めていきたい。
2018年02月26日
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