2018年02月07日

問題と解決の絵

薙刀式ばっかり書いてますが、
脚本論も進行します。

絵で示せることは、
どの場面でも重要だ。

特にどの場面が?

僕は最低二つ必要だと思う。
「問題」(センタークエスチョンがベスト)と、
「解決」である。


逆に、
問題も解決も微妙なやつになっていて、
間の印象的な絵になってるやつは、
その絵がイコンになってしまう。

問題が絵になっていて、
解決が絵になっていないのは、
問題ばかりが人々の記憶に残ってしまう。
(これを意図的にやって、
問題意識を植え付ける洗脳も可能かも知れない。
たとえばエヴァは、
「使徒が地球に襲ってくる」という問題は絵にできているが、
その解決を絵に出来ていない。
「地下に眠る巨人」というサブ問題は絵に出来ているが、
その解決は絵に出来ていない。
したがって、「問題の強迫」だけが起こる、
いわば欲求不満装置として、エヴァは機能している)

たとえば「ジョーズ」は、
問題、「巨大鮫が海水浴客を襲う」を、
ポスターによって絵に出来た例である。
ところが、その解決は、
あまり皆の記憶に残っていない。

実際のところは酸素ボンベを噛ませて爆発させるのだが、
そのような絵による解決に対して、
問題の記憶ばかりが残っている。
これは半ばポスターイコンのせいでもあるね。
実際の問題の絵は、「波間に現れる背びれ」だからね。


仮に解決が絵で示さないものになるとしよう。
たとえば発信機をジョーズにつけて、
その発信機が海中で消えたとする。
「おそらくクジラに飲まれたのだ」となり、
その後ジョーズは出なくなった、
とかだとする。
ちっとも解決した感じがしない、
欲求不満だけが残ること請け合いだ。


そういえば大昔に書いた、
マトリックス三部作のリライト版
(作品置き場にあります)では、
解決を絵で示そうとしていた。
「チューブに繋がれた人類が、
カプセルから解放される」という場面を書いていた。
これがないと、
問題「人類が機械の支配下にある」を覆さないと思っていたのだね。
あるいは、「人類が黒雲によって機械の太陽発電を絶った」
という問題の絵を使い、「それから晴れ間が見える」
という希望の絵で終わらせていた。

翻って、「マトリックスレボリューションズ」では、
そういう絵がなく、
「解決したんだっけ?」と、
今でもたまに思い出してはモヤモヤするよね。
(それよりも、「1」の、
ネオが空を飛んで反抗宣言をするラストの方が、
爽快だったよなあ)

久しぶりに「ロッキー」を例に挙げると、
問題「惨めなロートル生活」は、
徹底的に絵で描かれるし、
センタークエスチョン「アポロとの試合」は、
直接ジムに呼び出されて絵で示される。
その解決「おれはいっぱしの人間である」は、
観客にロッキーコールが起こり、
エイドリアーンと叫ぶ絵で示される。
とくにラストは、時代のイコンにすらなった。

イコンになるってことは、
誰もが真似するような、
新しい価値観を絵で示したということだ。


逆に問題が絵になっていないと、
何を解決するために、
この人たちは必死なんだっけ、
というのがわからなくなる。

たとえば大昔にメアリースーの典型として批判した、
牛乳石鹸のCMはどうだろう。

問題は絵で示されたか。否である。
なぜなら問題とは、
「よく分からない俺の矜持」であるからだ。
具体的な失敗は「誕生日に間に合わなかったこと」
だが、
それは後半ギリギリでしかない。
そこからの解決が、たかが石鹸一つで洗い流す、
という不自然さが、批判の根本であるわけだ。

これがもし、
「夫としての矜持を徹底的に砕かれる」
場面が最初にあり、それを覆そうと色々あって、
最後に「石鹸で洗い流してリセットする」
というペアになっていれば納得する。

あるいは、トップシーンまたは第一ターニングポイントまでに、
「誕生日に間に合わなかった」絵があるならば、
それが問題のイコンになるだろう。



問題と解決は、
ストーリーの根幹である。
それを理解し、記憶に刻ませるには、
理屈の百回より、一発の絵だ。

「地球は侵略されている」という噂話よりも、
「空にたくさん飛ぶ絶望的なUFO」のほうが説得力があるのだ。
僕が好きな問題のイコン化は、
「ゼイリブ」で、
「特殊なサングラスをかけると、
全ての広告メッセージが『我々に従え』(OBEY US)
になっていることが見える」というやつで、
その不気味さがたまらなく良かった。
解決の絵は覚えていないので、
たいした映画じゃなかったけど。
せっかく導入は最高なんだから、
解決の絵もオリジナリティ溢れるものになってれば、
良かったのにねえ。

簡単な例では、
「問題と解決の絵をペアにする」というものがある。
宇宙戦艦ヤマトでは、
「放射能に冒され、赤く染まった地球」が、問題の絵で、
「コスモクリーナーにより青い地球になる」が、解決の絵だ。
使用前使用後のペアになっていて、
「話がわかりやすい」ということになるわけだ。

実際には古代進守の兄弟のエピソードやら、
真田さんや島や雪の話やら、沖田艦長の話など、
色々あるのだが、
それよりもメイン問題、「地球の滅亡を救えるか」が、
最もイコンになっているのが、
ヤマトという物語の優れたところである。


絵にすると、説明が不要になるのが、
その本質なのかもしれないね。


あなたのストーリーのメイン問題は何か?
その解決はどういうことか?

両者が一枚の絵になると、ビシッと映画になる。

逆にそうなるように、
ストーリーを加工できれば、
小説や漫画は、映画化可能になるのかもしれない。
posted by おおおかとしひこ at 13:50| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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