昔漫画でみたけどあんまり最近みないビジュアル、
「小さい天使と悪魔が主人公の両肩の上でケンカする」
という奴を思いだそう。
このビジュアル縛りで、
天使と悪魔をケンカさせてみよう。
会話劇を書いてみたまえ。
議題はなにについてもいい。
「彼女と付き合うべきか」
「どっちの大学にいくのがいいのか」
「A定食とB定食のどっちがいいか」
「資本主義はこれでよいのか」
など、なんでもよい。
ひとつ決めて、天使と悪魔を、真反対の立場にすること。
で、二人で言い争わせることだ。
最終的に、どっちがどっちを言い負かしてもかまわない。
とにかく一方が勝つまでを書いてみよう。
さて、次からが本題になる。
こんどは、
「逆側が勝つように書く」をやってみたまえ。
まったく論理構造が変わってくるだろう。
同じ流れではないだろうね。
最初から新しいことを書くべきで、
前の原稿のコピペじゃできないだろう。
最初に書いたものは、
たぶん「あなた自身がかんがえていることの結論」
になる可能性が高い。
自分の正当化が、人はうまいものだ。
しかし次に書くことは、
自分の考えていることだけを考えていては書けない。
自分と逆の立場への想像力が必要だ。
このエクササイズの目的は、つまり、
「自分が無意識に考えていること以外に、
ストーリーを持って行く」練習である。
つまり、あなたは嘘をつく練習を、ここですることになる。
ディベートの国、アメリカでは、
多分小学校くらいから導入されているだろう。
ここで大事なことは、
「あなたがそう思うからそう結論づけるのではなく、
そう思っていない人にも妥当だと思わせる、誘導
(それがほんとうか嘘かは問わない)」
である。
真実はどうでもいい。
妥当な、納得のいくストーリーさえできれば、
それでOKである。
それがディベートだ。
これがアメリカで弁護士が人気商売の理由で、
つまり、
「勝つ目的の為には、自分がそう思っていなくても、
語るストーリーで妥当に見えるようにする」
ことが上手かどうかを問われるわけである。
情熱とか理想はどうでもいい。
これがアメリカの裁判制度だ。
勿論、嘘800ではその議論は強くない。
大嘘は弱く、すぐに突かれる。
だから嘘をつくコツ、
「ほんとうのことを混ぜる」が効く。
結論は真逆でも、
それがそうだと思っている心は真実である、
なんてほんとうを混ぜると、説得力が増したりする。
つまりディベートの教育とは、
「人は嘘をつくことが出来る」という教育だ。
逆に、嘘か本当かはどうでもよくて、
その結論が妥当かどうかという、
理屈の流れだけを考えて、
感情論を排除する訓練にもなっているわけである。
残念ながらこの教育は日本では行われていない。
なので、ためしにやってみたまえ。
我々ストーリーテラーが学ぶべきことは、
「自分が無意識に正しいと思い込んでいることがある」
という発見、
「そのこと以外に目を向ける」という、
相対的な視座の獲得の練習であるといえるだろうね。
正義対悪ではない、
正義の敵は、もう一つの正義だ、という言い方がある。
つまり、あなたは、両者の正義の立場から物を見て、
どちらかが勝つとしたら、どういう論点か、
ということを考えなくてはいけないわけだ。
しかも両方のバージョンをね。
一方の立場、もう一方の立場、
両方を見るだけではなく、
客観的な立場の、
みっつの立場にいれないと、
これをうまく書いて行くことは出来ないだろう。
天使と悪魔じゃなくて、
ふたつの正義、つまり両方天使でもいいんだよね。
まあなんでもいい。
両方のバージョンを書かなくてはいけないのが、
特に難しいと思う。
やってみたまえ。
2018年02月09日
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