2018年02月09日

天使と悪魔のエクササイズ

昔漫画でみたけどあんまり最近みないビジュアル、
「小さい天使と悪魔が主人公の両肩の上でケンカする」
という奴を思いだそう。

このビジュアル縛りで、
天使と悪魔をケンカさせてみよう。
会話劇を書いてみたまえ。


議題はなにについてもいい。
「彼女と付き合うべきか」
「どっちの大学にいくのがいいのか」
「A定食とB定食のどっちがいいか」
「資本主義はこれでよいのか」
など、なんでもよい。
ひとつ決めて、天使と悪魔を、真反対の立場にすること。
で、二人で言い争わせることだ。
最終的に、どっちがどっちを言い負かしてもかまわない。
とにかく一方が勝つまでを書いてみよう。

さて、次からが本題になる。

こんどは、
「逆側が勝つように書く」をやってみたまえ。

まったく論理構造が変わってくるだろう。
同じ流れではないだろうね。
最初から新しいことを書くべきで、
前の原稿のコピペじゃできないだろう。


最初に書いたものは、
たぶん「あなた自身がかんがえていることの結論」
になる可能性が高い。
自分の正当化が、人はうまいものだ。

しかし次に書くことは、
自分の考えていることだけを考えていては書けない。
自分と逆の立場への想像力が必要だ。

このエクササイズの目的は、つまり、
「自分が無意識に考えていること以外に、
ストーリーを持って行く」練習である。

つまり、あなたは嘘をつく練習を、ここですることになる。

ディベートの国、アメリカでは、
多分小学校くらいから導入されているだろう。
ここで大事なことは、
「あなたがそう思うからそう結論づけるのではなく、
そう思っていない人にも妥当だと思わせる、誘導
(それがほんとうか嘘かは問わない)」
である。

真実はどうでもいい。
妥当な、納得のいくストーリーさえできれば、
それでOKである。
それがディベートだ。

これがアメリカで弁護士が人気商売の理由で、
つまり、
「勝つ目的の為には、自分がそう思っていなくても、
語るストーリーで妥当に見えるようにする」
ことが上手かどうかを問われるわけである。

情熱とか理想はどうでもいい。
これがアメリカの裁判制度だ。

勿論、嘘800ではその議論は強くない。
大嘘は弱く、すぐに突かれる。
だから嘘をつくコツ、
「ほんとうのことを混ぜる」が効く。
結論は真逆でも、
それがそうだと思っている心は真実である、
なんてほんとうを混ぜると、説得力が増したりする。

つまりディベートの教育とは、
「人は嘘をつくことが出来る」という教育だ。
逆に、嘘か本当かはどうでもよくて、
その結論が妥当かどうかという、
理屈の流れだけを考えて、
感情論を排除する訓練にもなっているわけである。

残念ながらこの教育は日本では行われていない。
なので、ためしにやってみたまえ。


我々ストーリーテラーが学ぶべきことは、
「自分が無意識に正しいと思い込んでいることがある」
という発見、
「そのこと以外に目を向ける」という、
相対的な視座の獲得の練習であるといえるだろうね。

正義対悪ではない、
正義の敵は、もう一つの正義だ、という言い方がある。

つまり、あなたは、両者の正義の立場から物を見て、
どちらかが勝つとしたら、どういう論点か、
ということを考えなくてはいけないわけだ。
しかも両方のバージョンをね。

一方の立場、もう一方の立場、
両方を見るだけではなく、
客観的な立場の、
みっつの立場にいれないと、
これをうまく書いて行くことは出来ないだろう。

天使と悪魔じゃなくて、
ふたつの正義、つまり両方天使でもいいんだよね。

まあなんでもいい。
両方のバージョンを書かなくてはいけないのが、
特に難しいと思う。

やってみたまえ。
posted by おおおかとしひこ at 01:05| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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