2018年02月12日

空間移動を伴うと気持いい

ワンシーンものは息がつまる。
だからなんとなくシーンを変えたくなる。
シーンが変わるとなんか楽になる。

そしてそこに移動感がくわわるとさらにだ。


私たちの本能であろうか。
移動することは気持ちいい。
一か所に固まっていると心も凝り固まってしまうと思う。

シーンが変わると、そこの距離感が分かっていれば、
私たちは移動を感じる。
移動にテンポがあると、ずっと移動している感じになる。
これが一種のグルーヴを生み出すことすらある。

ロードムービーは、この快感をもとに作っている。
車が基本だけど、徒歩でもなんでもいい。
(東海道五十三次は、徒歩によるロードムービーだ。
股旅物、と江戸時代に呼ばれた)


で。
移動に理由がないと意味がない、というのが本題。

ロードムービーの場合は明確だ。
たいてい目的地を目指していて、
それが大目的になっている。
西遊記=ありがたいお経を得るために天竺まで
銀河鉄道999=機械の体を得るためにアンドロメダまで
宇宙戦艦ヤマト=コスモクリーナーを得るためにイスカンダルまで
などなどのメジャーなものを出しておく。

これらがある限り、移動は心地よい。
それがリズムになっているからだ。


しかしロードムービーでない場合はどうか?
シーンとシーンの繋ぎに移動を感じる限り、
そこに理由がないと、気持ち悪いのだ。

目的のない移動は、徘徊にすぎないからだ。

つまり、
シーンを変えるということは、
移動が伴うということであり、
それには理由または目的が伴わなければならないということである。

そこまで意識してシーンを変えてしまうと、
意味のない移動になってしまう。

それは方向性を見いだせない移動に感じ、
ジェットコースターとは真逆のものになってしまうだろう。


なぜシーンを変えるのか?
気分で変えてはいけない。
それには理由がいる。
その理由こそ、
目には見えない必然性であり、
それがストーリーの糸であるのだ。

なぜここに来たのか?
あるいはなぜそこへ行くのか?
それが明らかでない場合、
その移動には意味がない。

ストーリーとは、
「二軒目行こうぜ」という徘徊ではない。
posted by おおおかとしひこ at 23:24| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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