2018年02月16日

逆に登場人物を減らそう

登場人物を増やすのと逆だ。

サブテーマを削り、メインテーマだけに絞り込む。


あるテーマを語るのに、
サブテーマがどうしても必要かを検討する。

それは、テーマがどのようなものであるか、
そのサブテーマとテーマとの関係、
などが明らかにならないと判断できない。

つまり、書く直前の、
プロットで全体を見渡せた段階か、
書き終えて全体を見渡せる段階でないと、
その検討は無意味である。

(途中で削ると、
不自然に死んだり退場したりして、
あいつなんやったんや、ということになるだろう)

あるいは、
削られた登場人物が持っていたサブテーマを、
別の登場人物に重ねることで、
人物を減らす方法もある。
この場合重要なサブテーマを削らずに済むが、
うまくコンバート出来るかどうかと、
その登場人物に複数のテーマが与えられることになり、
分かりにくくなるのではないか、
という懸念点が出てくる。


全ては試行錯誤とカンで決めるしかない。

たとえば、対になっているサブテーマ同士は、
一方を削ったら成立しないかも知れないし、
成立するかも知れないし、
二つを一人に背負わせてややこしくなるかも知れないし、
むしろスッキリするかもしれない。

それはやってみないと分からないし、
やる前に予測できる場合もあるし、
予測とやってみたら違う場合もある。

サブテーマを削ることで、
最も懸念されることは、
「テーマが痩せて薄っぺらく見えること」だ。
屋台骨が大したことないやつを、
サブテーマで盛っていた場合に、
これがあることがある。
一本取れないから技有りの合わせ一本になる場合だ。

これが一番厄介で、
メインプロットのみで骨太になるように、
書き換えるという一番難しいことを強いられる。

多くの漫画実写化が成功しない原因は、
尺の関係でサブプロットを削ぐと、
ぺらぺらのメインプロットしか無くなってしまうことだ。

たとえばるろうに剣心の映画化に、
僕は左之助はいらなかったと考える。
左之助の役を薫がやったほうが良かったなと。
「そうするとるろうにじゃない」というファンの声は大きいだろうが、
明らかに左之助は映画内でだぶついていた。

だぶつくということは無駄があるということで、
尺が二時間程度に限られている映画では、
そこで薄まっているということだ。
そこを削れば、
もっとメインテーマに肉薄するエピソードをつくれる、
ということだ。

新しい危険、新しい行動、新しい感情、新しい関係進展、
などでそれを表現することになる。


登場人物をただ削ったって痩せるだけだ。
そのあいたところに、
力強いメインプロットをつくれるかどうかが、
登場人物を減らすときの留意点だといえよう。

(もっとも左之助を削れても、
残ったところに何を描くべきかはよく分からない。
それは、るろうにのテーマがなんなのか、
一向によく分からないからである)
posted by おおおかとしひこ at 14:04| Comment(4) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして
物書きでも何でもない素人ですが、初めて知る世界の話で興味深く拝見させて頂いてます。
一つ質問があります。
どの記事か覚えていないのですが、脚本とは感情移入させることが大事であるとか、観客を感情移入させて物語の中に引き込むことができるのが映画の素晴らしさであるといった文章があった気がします。
ですが、私は映画を見て感情移入することを恐ろしいと感じてしまいます。
私のようなタイプは、映画を見ることに向いていないのでしょうか?
小説や漫画は平気で、感激して涙を流した経験もあります。また、アトラクション感覚だからかホラー映画は比較的普通に見ることが出来ます。
ですがシリアスな映画のクライマックス部分になると、画面の隅に目をやったりあら探しを始めてしまいます。
本と違って簡単に止めることの出来ない映画を見て感情を動かされる事は、何か自分の中の嫌な部分をさらけ出されるような気がして恐ろしいのです。

お門違いな質問とは思いますが、このような疑問の持ってき所が他に無いので無礼を承知で質問させていただきます。
ご一読いただければ幸いです。
失礼いたします。
Posted by くし at 2018年02月17日 01:05
くしさんコメントありがとうございます。

若い人の中には、自分の感情に向き合うのが怖いという人もいるようです。
だから映画館も演劇も暗闇なのだ、と思うほうがいいです。
横や前後に他人はいますが、
基本的に暗闇で一人で楽しむものだから、
どう見たっていいんです。

ためしにお芝居を見てみるのはいいかも知れません。
生の人がやってるから、明らかに嘘ですからね。
(嘘のはずなのにいつのまにか自分のことになっている、
というものがフィクションの面白さで、
我々書く側はそれを毎日考えているのですが)

感情移入しないショウもあります。
たとえば宝塚のレビューはそれ専用といっても良いかと。
(ただ煌びやかさを楽しむだけの見せ物)
ミュージカルとかは別の要素もあるし。

感情移入しなければならないのが正解とは限らないので、
好きなものを楽しめばよくて、
アクション映画やコメディやラブコメなんかは、
わりとライトに楽しめるんでないでしょうか。
100%どっぷりつかる感動だけが感情移入とも限らず、
ちょっと感情移入するだけでも感情移入の一部だと思うだけで、
気が楽になるかと。
Posted by おおおかとしひこ at 2018年02月17日 20:44
お返事ありがとうございます。
一つのことにとらわれて視野が狭くなっていたようです。
気負わずに観たいものから観て、少しずつ慣れていきたいと思います。
貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました。
Posted by くし at 2018年02月18日 22:07
くしさん一つ書き忘れていました。

アメリカで映画を見ることが出来れば、見てみてください。
アメリカ人はオーバーリアクションなので、
どこでも笑い、泣き、拍手したりブーイングしたりします。
みんななのでうるさいくらい。
でもそんなにも感情をむき出しにして見ていいんだ、
とカルチャーショックを受けた経験があります。
英語がネイティブで聞き取れないと難しいですが、
コメディぐらいなら言葉がわからなくてもなんとかなるので、
是非本場ハリウッドで映画館体験をすることをオススメしておきます。
阪神甲子園で阪神の試合を見ても、叫ぶおっさんがいるので、
近い体験が出来るかも。笑
Posted by おおおかとしひこ at 2018年02月19日 09:51
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