名作を見ることと同じくらい、
クソ映画を見ることは重要だ。
なぜか?
それがあなたの鏡になるからである。
名作ばかり見ていると、
(そんなことはあまりないが)
自分の作品と名作を比べたときに、
「名作に比べて少し足りないだけ」と、
勘違いして自己評価してしまうことがある。
ほんとは、名作とクソ映画の間でいうと、
クソ映画寄りなのかも知れないのに。
名作とはどういうことかを語れるのと同じくらいに、
クソ映画を語れるようにならなければならない。
そして、自分の作品を、その評価軸で、
どこにいるのかを評価できなければならない。
もちろん、出演俳優とかガワは関係なく、
映画の中身=脚本、ストーリーにおいてである。
僕の生涯のワースト10は過去に書いたが、
去年のワーストを思い出していて、
見事に「エキストランド」が輝いた。
あれを映画だと思っている人が映画を作っているかと思うと、
寒気がする。
クソ映画の特徴は、
鏡を見ていないことだと僕は思う。
メアリースーしかり、自分のオナニーしかり、
人間とはこういうものだという思い込みのズレしかり。
他人を巻き込むことをしないで、
何かを押し付けているだけのもの。
あるいは、解決に困ったので、
適当に解決したか、
理不尽に解決したか、
解決しきれなかったもの。
あるいは、途中で困って、
当初の前振りを全無視して中折れたもの。
ひとつの流れとして見たときに、
構造化されていない醜いもの。
そういうものがクソ映画の特徴だ。
エキストランドは、
途中まできちんと出来ていたわりに、
中盤からのあるあるが寒くて、
コメディにも痛い自己批判にもなっていなかった。
落ちは何も面白くなかった。
世の中にはそれを下回るクソ映画もある。
下の下の下を見て、上の上の上も見よう。
あなたの作るものは、
中の上の上には少なくとも入るべきだ。
それが上ランクに入れるのは、
題材やキャラクターやアイデアなど、
どこか光るものがなければならず、
それはある意味偶然の出会いだ。
どんな下でも中の上の上に仕上げる腕が、
プロというものだが、
世の中にはそういうプロ職人がカモフラージュしている、
クソ企画なんて山ほどあるのだろう。
クソ映画をたくさん見よう。
名作もたくさん見よう。
批評眼がないと、あなたの次書く一行が、
いけてるのかいけてないのかすら判断できない。
2018年02月17日
この記事へのコメント
コメントを書く

