なぜ物語は面白いのだろう。
それは、普通によくあることでないことで、
何かが起こるからである。
つまり、異常な状態が起こることだ。
これが非日常であればあるほど、
我々の日常から遠くなるほど、面白くなる。
事務のお姉さんは、
「今四半期の書類が明日までに間に合うか?」
なんて映画は見たくないだろう。
で。
異常な状況を面白くする手っ取り早い手は、
複雑にすることである。
危険が単純な線では語れず、
リターンとリスクが複雑に入り組んでいればいるほど、
観客は思う。
「これをどうやって解決するんだ?」と。
もっとも、ここまでで引き込めていないと、
複雑な状況は、ただのめんどくさいものである。
最初は簡単に解決できそうな状況から始まり、
いつの間にか、にっちもさっちもいかない、
複雑な状況になっているのが望ましい。
どんな物語でも、
最初はすぐ解決できそうな顔をするものだ。
そこで気を引く為である。
これで解決できるだろう、と安易に手をだしたら、
中々に解決できない、複雑な事情が芋づる式に出てくる。
それが面白い話の必要条件かもしれないね。
で。
そうだからこそ、
皆は思うのだ。
「どうやって解決をするのか?」と。
「どうせこうなるんだろうな」と思われては意味がない。
誰もがあっと驚く解決法が理想だ。
しかし毎回毎回そううまい方法なんて思いつかない。
こういう時は、
「その時はベストだとおもえる判断」
をとらせるといい。
そこにリスクや多少の傷はあっても構わない。
誰もがハッピーになれる選択肢がベストだが、
その選択肢を複雑な状況が選ばせない状態になっているのがいい。
しかし決断しないと、状況はさらに悪化するときは、
どこかで決断させるしかない。
苦渋の決断になるかもしれない。
その決断をしたことで、
一部の人に非難されることになるかもしれない。
つまり、その決断には責任や覚悟がついて回る。
誰もが決断するには難しい状況をわざとつくり、
そのことで、もはや手をこまねいてはいけない状況をつくり、
ある種痛みを伴う決断をさせよう。
それが、あとになって偉大なる決断であった、
と分かれば、
その勇気は称賛される。
それが失敗に終われば、
それ見たことかとフルボッコだ。
そのエッジに、主人公が立つことだ。
どっちに転んでも辛いことになる。
しかしその複雑な状況を進めるには、
このギャンブルしかない、
ということが話を面白くする。
勿論、その決断が称えられるように、
リアリティあふれるその後の成功を描くべきだが。
そういう複雑な状況を作り、
かつうまい脱出法や、その難しい決断をつくることが、
私たちの仕事であると思ったほうがよい。
どうその複雑な状況を観客に楽しませるか、
まで気を配れれば、
一級品のエンターテイメントになるだろう。
テーマも多角的に描かれているので、読み応えあります。
最近知って読んだのですがオススメです!
いつか読もうとしてる漫画の棚には入ってますが、
それよりはじめの一歩の方が大丈夫かいなと心配しており。
狂四郎2030も読みたいし、電子書籍に手を出すか…(紙派)