2018年02月18日

【入力の話】ブラインドタッチは、キーを全部覚える事ではない

ブラインドタッチをマスターしようとする人が、
誤解してることがひとつある。
「ひとつの音がひとつのキーに対応してるから、
その対応を覚えたらおわり」だと考えていることだ。

つまり、一対一対応の暗記だと思っていること。
たとえば世界史の年号のように。

これは誤りである。
ブラインドタッチは、「一連のキーの流れ」で覚える。


たとえば、「わたし」という言葉をブラインドタッチで打つことを考えよう。
カナ入力なら3タイプ、ローマ字なら6タイプするだろう。
(僕は昔「し」を「shi」の発音通りに入力してたので、7タイプしていた)

しかしブラインドタッチでは、
これを1タイプのように考える。

どういうことか。
「わたし」という概念は、3文字で成り立ってはいるが、
複合語ではなく、ひとつの概念である。
「自分を示す言葉」というひとつだ。

英語の方がわかりやすいか。
私という一概念をたった1アルファベットの「I」で示す。
「一概念一音」の原則の中国語では、「我」一文字だ。
つまり、自分という概念はひとつであることを、
英語や中国語では文字ででも対応している。

(ちなみに日本語の一人称の歴史では、
平安時代以前は「わ」一音であったそうだ。
漢字で書くと「吾」らしい。
魏の使者がお前らは誰だと聞いた時、
当時の日本人は「わ」と答えて、
わ族となったのではないかと推理ができる。
わの国とは平和ではなく、わたし(たち)の国の意味だ。
この鳥はなんだと答え、「ドードー(知らない)」
と答えた鳥がドードー鳥と呼ばれたのと同じかもしれない。
最近では平昌オリンピックの「モルゲッソヨ」だね。
知らない人の為に書いておくと、
会場のヘンテコなオブジェがおもしろくて、
なんだあれと会場の人に聞いたら「知らない(モルゲッソヨ)」
と答えて、モルゲッソヨという名前だと勘違いされた珍事)

で、当然わたしたちは、
「わたし」を「わ」+「た」+「し」の3つの合成語とは考えてなくて、
「わたし」というひとつの言葉だと考えている。

これはタイピングでも同じで、
「わたし」というひとつの概念を、ひとつの動作で打つのである。
一概念を一連の音であることと、一連の指の動きが対応している。

具体的に言うと、
qwertyローマ字では、
左薬指上段→左小指中段→左人差し指上段伸ばし
→左小指中段→左薬指中段→右中指上段
という指の動きを、一連で覚える。
波動拳が236Pみたいなことである。

「わたし」という一概念に対して、
こういう新しい動きの言語が対応している、
という覚え方をする。
「わたし」という一概念の言葉を言う時に、
「わ」+「た」+「し」と三つに区切って発音しないのと一緒だ。


勿論、外国人が始めて学んだ日本語を発音する時や、
初めて覚える言葉を発音するとき、
たとえば「ゾルタクスゼイアン」という言葉を覚えたときなどは、
一音一音区切って言うだろう。
しかし使い慣れてくるとそれは一連で言うことになる。

上京した人が、渋谷で乗り換え銀座線で銀座、
などと最初は一つ一つ覚えるが、
「渋谷経由銀座」「銀座まで」などと次第にひとつの概念になってくるのと、
同じである。
最初は駅一つ一つを暗記するかも知れないが、
慣れてくると「ルートが自動化される」ようになるはずだ。

これがブラインドタッチなのだ。


初心者のブラインドタッチの誤解は、
「わたし」を「わ」と「た」と「し」で覚えようとすることである。

勿論、
初期の頃は覚える事で必死だから、最初はしょうがない。
しかしほんとうのブラインドタッチとは、
「わたし」を自動化されたルートで打つことに他ならない。
さらに言うと、
「わたしはラーメンが食べたい」とか、
「わたしの萌えポイントにぐさりと刺さる」
などの一連くらいは、自動化されたルートで打つようになる。

つまり、自動化されたルートは、
莫大な組み合わせがある。

20音覚えれば良い(ローマ字)とか、
50音覚えれば良い(カナ入力)とか、
80音覚えれば良い(清濁別置カナ入力)とか、
そういう一対一対応の暗記の問題ではない。

事実、どんなにブラインドタッチをマスターした人でも、
「○のキーの右隣には何がある?」と聞いても、
咄嗟に答えることは出来ない。
銀座に向かう時に、渋谷の反対側の駅は原宿だが、
意識の中にないのと同じだ。

すべては、「ことばの概念」と対応した、
「指の一連の自動化ルート」で覚えている。
それがブラインドタッチ出来る、
ということである。


目を使わないとはこういうことで、
だから僕は「ブラインド」の言葉を使用している。

これはピアノも同じかもしれない。
ピアノの場合は三つ先は三つ高い音、
と規則性があるからそんなこと考えなくてもよいが、
キー配列の場合は、不規則だから規則性が使えないだけの違いだ。

勿論、我々の言語が人工的に規則正しいならば、
規則的なキー配列になったかも知れないが、
言葉、概念、思考、思想、主張などというものは、
不規則であることが当たり前で、
だからカオス複雑系をとり、それが生命の本質であるわけだ。
(ちなみに発音と文字の関係を人工的につくったハングル語では、
キー配列が大変規則的で、
ほぼ完全左右交互打鍵でうてるようだ。
ちょっと羨ましいが、なんだか人工的で嫌な印象も同時に受ける。
わたしたち日本人が、左右対称に作ったイングリッシュガーデンに、
なんだか不気味さを覚えることに似ていると思う)


と、いうことで。

本質的に、ブラインドタッチとは、
規則的でない言葉に、
規則的でない一連のコマンドを対応させる、
ことを言う。

打ち慣れていない言葉は一音一音打つが、
それもそれまでの蓄積で合成できることが多く、
数回打てばもうひとつの一連になってゆく。

最終形のイメージはこんな感じだ。



多くのブラインドタッチ教習法では、
この最終イメージを最初に教えていない。

左小指に対応する音を覚えましょう、
なんて本質的でないことを教えるから、
「ブラインドタッチは難しい」という固定概念もつくし、
「一個一個全部暗記したらおしまい」なんて誤った概念がまかり通る。

ちなみに、「ひとつの配列を覚えたら前のが出来なくなる」
も間違いで、「複数の配列を使い分ける」ことも可能だ。
自転車に乗れるようになったから、
自動車に乗れなくなったということはない程度だ。
(ちなみに、ローマ字系とカナ系なら干渉せずに同居出来る、
というのが一般的。カナ系二つは難しいそうだ。
僕の経験でいうと、qwertyローマ字、ローマ字系ひとつ、カナ系ひとつの、
計三つを常用することは可能。似てない奴は共存しやすい。
勿論得意不得意のムラは出る)


この自動化されるべき一連の動きコマンドを、
「運指」という。

(運指は別の使われ方をされる場合もある。
「ある音とある指の対応」という一対一関係を運指ということもある。
僕はこれを「配指」と呼ぶことにして、
一連の動きを運指と呼んで区別している)



飛鳥配列と薙刀式は、
この運指に特に気を使っている配列である。
薙刀式でいうと、
「ある」「ない」「する」「こと」「して」「って」
「これ」「それ」「どれ」「まで」「たら」「なら」
などの基本的な言葉や、
漢字で頻出する「ょう」「ゅう」「たい」などが、
最も打ちやすいアルペジオ運指で打てるし、
基本的な言葉「した」「られる」「ので」「です」「ます」「った」「どう」や、
漢字で頻出する「かい」「かん」などが、
内側指(人差し指中指)を中心とした左右交互打鍵で素早く打てるようになっている。


僕がqwertyローマ字入力、JISカナ入力をクソだと評し、
親指シフト(ニコラ配列)を大したことないと言うのは、
この運指がめためただからである。

もっとも、
これらの配列は「運指」という概念がなかった時代に作られた可能性がある。
逆に、一対一対応でしかない配列に、
キーパンチャー達が運指を現場で発見してきた、
とも考えられる。


ひとつの概念を滑らかな運指で綴る。
概念から概念への繋ぎもスムーズな運指で繋ぎ、
一連の言葉がスムーズな運指で綴ること。

それがブラインドタッチの最終形であり、
それが出来るキー配列を選んだ方が良い。

(そういうキー配列かどうかは、
あなたが手書きや音声で一連で綴る代表的な言葉を、
10から50ほど打ってみることで調べられる。
それらがあなたの指のスイートスポットを外しているなら、
そのキー配列は少なくともあなたには不愉快である)
posted by おおおかとしひこ at 19:40| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。