そろそろ「指が喋る速度」に達しようとしている。
(秒3・33打相当。いま3・15打)
ここまでくると部分的に、
思考より速く字が出ていく感覚が出始める。
言うより速い打鍵の領域。
タイピングの速度の限界は、
実は脳内発声ではないかと僕は考えている。
音声が律速段階になるということ。
僕はローマ字入力では、
どうしても脳内発声が出てしまうようで、
それは脚本のような音声言語を書いているときはいいのだが、
こういう分析的な文章や、
小説の地の文では、
音声のスピードで頭打ちになるような感覚があった。
飛鳥配列、下駄配列の経験では、
脳内発声がない感じがあって、
だから僕はカナ入力が、
文章を書くときの感覚に近いのではと興味をもったのだ。
(だから、音声と関係あるような、
下駄配列などでの拗音1モーラ入力は、
打っているときは気持ちいいが、
思考とは関係ないような気もしていた)
「ローマ字入力は、
ローマ字変換に脳内常駐ソフトが割かれる」
という感覚は、
カナ入力にそろそろ慣れてきた身からすると分からないでもないが、
それよりも実感として思うのは、
「ローマ字はどうしても脳内発声から逃れられない」
という感覚だ。
それは子音+母音の部分ではなく、
拗音や促音、二重母音を打つ時に強く感じる。
子音+母音の部分は、
ローマ字変換することなく、
もう反射で打つようなもので、
左右交互打鍵であるカタナ式では、
「左右の手で打つ一種のコマンド」
みたいに自動化されているので、
行と段を意識することはほとんどなかった。
しかし拗音と促音、二重母音では、
どうしても音を意識してしまう感じで、
一回意識すると、
静かだった脳内が音声で満たされてしまうように感じた。
(一度も拗音、促音がない文章を打つならば、
ぎりぎり脳内音声なしでいけたかもしれないが、
検証していない)
僕は手書きの文字を書くときは脳内発声がない。
カナ入力の飛鳥配列を初めてマスターしたとき、
それはとても遅かったが、
脳内発声がない事に気づいた。
その後下駄配列に転んだけど、脳内発声はなかったと記憶している。
脳内発声は、
まだ配列に慣れていないときには起こる。
指さし確認のようなもので、
慣れていない行動で独り言を言うのに近い。
特に下駄配列は拗音がたくさんあって、
それを脳内で無言で処理できるほどには、
僕は習熟できなかった。
(薙刀式を思いつかなければ、
こつこつやってそこまで習熟したかもしれない)
で、薙刀式だ。
そろそろタイプウェルでは、
区間だけだとSSとかXJが出るようにはなってきて、
トップスピードだけ見るとそこそこある。
(ボトムが足を引っ張っている)
タイプウェルの時は必死なので観察する余裕がないが、
ふだんこういう文章を書いているときなどで、
思考より速く文字を打っているときが、
ままあることに気付くようになった。
勿論それは一瞬のフレーズレベルのことだ。
文全体とかワンブロック自動書記することとか、
まだない。
(手書きのときはトランス状態に入れば、
原稿用紙数枚くらいは自動書記することはある。
文章を生業にしている人には良くある体験だろう)
特に薙刀式は、
よく使う言葉がアルペジオになるように調整してあるから、
そういう現象が起こりやすいのかもしれない。
たとえば、
「そういうことになる」は、
すごく速く打てる。
左右交互打鍵を+、アルペジオを★で示すと、
そ+う★い★う+こ★と に な★る
という感じで打てる。
スペースのあいた所はシフト(押す離す)である。
「そういうこと」まで一気に打って、
「に」でちょっと減速、
「なる」が一瞬で確定して終わる。
それが音声より速く、
ときに思考を越える速度で打てる。
で、指が先に待ってて、思考が追いつく感じ。
勿論これは恒常的に起こるわけではなく、
こういう打ちやすいワンフレーズで見られる現象だ。
しかもこういう加速ワードは、
習熟するにつれて増えていくことが予測される。
ということは、
悪運指以外のところは、
どんどん音声より速く打てて、
脳内発声より速く打てるようになることが予測される。
まあどんなに速く打てても、
その人のトップスピードは決まっている説もあるので、
奇跡が起こるまでは期待していない。
しかし、僕がローマ字であるカタナ式を休止し、
カナ配列にちょっと真剣に取り組んでいるのも、
この脳内発声のなさによるのではないかと、
思ったわけだ。
勿論、恒常的音声スピード、
分300字(既にある原稿を読む場合)
にタイピングが達することはほとんどない。
ていうか僕には無理だと思う。
しかし思考というものは、
もっと断続的に、間欠泉的に湧いてくるものだ。
その時に音声より速く字が書ければ、
道具としてはローマ字より優秀な気がする。
(ついでに打鍵数が少ないから疲労が少ないし。
そもそもカタナ式で一万字打つ時の疲労が気になったのが、
薙刀式開発の直接の動機みたいなもんだ)
僕はqwerty配列のローマ字で、
爆速入力できるような指をもっていない。
(変換後530文字/10分程度。3時間)
だからカタナ式をつくった。
(変換後750文字/10分程度。2時間)
薙刀式はまだその領域には届いていないが、
なんとなく届きそうなところにいる。
僕がそもそも手書きを捨てないのは、
レイアウトが自由なことと、
漢直入力であることと、
BSの記録がアナログで残ることと、
(ボールペン書きにしているのは、
消しゴムを使わず、あとで使えるものがあったら拾う為)
電源いらずで持ち運びが楽な事と、
そして脳内発声がない事だと思う。
デジタル入力がどこまでこの領域を冒すかは知らないが、
手書きに肉薄出来るとしたら、
すくなくとも脳内発声がないことが必要条件だと思う。
で、薙刀式は、
僕にとってその候補の最右翼なわけだ。
音が聞こえない静かな空間で、
思考が音を発せず、
抽象的な実体だけがある。
それが出来るのは、
今のところ、手書きとカナ入力だけ、
ということのようだ。
この感覚は、人によって違う可能性がある。
ローマ字でも脳内発声がない人もいるかもだし、
そもそも思考で脳内発声がある人もいるかもだ。
僕は思考に音を介在させないから、
そういう道具が欲しい。
(僕はどんなにうるさいところでも勉強できる。
音楽が流れていても、それを聞こえなくさせる。
耳が聞いていても、脳が認識しないようにスイッチを切れる。
集中力で、である)
で、薙刀式は、飛鳥配列より、下駄配列より、
運指が音声を超えるときがたくさんある配列だと、
すくなくとも「僕には」いえそうだ。
もう少し速くなったら、
違う世界が広がっているかもしれないので、
またその時に書くかも。
あ、v3は、どうやらあんまり変えていないタイプになりそうです。
2018年02月20日
この記事へのコメント
コメントを書く