どうも僕は親指シフト(ニコラ配列)に眉唾で、
薙刀式のほうが優れていると思っていたのだが、
脳内発声ありなしで、
向いている配列が変わるのではないか?
という仮説を立ててみる。
というのも、
親指シフトの一音一拍(拗音除く)というのが、
僕にはどうももどかしく感じるのだ。
速い長時間打鍵動画が出回ってないので、
速い人は変速ギアつきで打つのかもしれないが、
親指シフトの主張する、
「一定のリズムで打つ」というのが、
どうにも僕には胡散臭いのである。
で、逆にこれは、
音声と合わせて打つのに都合がいいらしい。
親指シフトの練習記を見てても、
声を出しながら打ったほうが、
指と連動するという意見をよくみる。
なるほど、親指シフトの一拍一定リズムは、
音声言語のリズムか。
思考に脳内発声がある人は、
これが向くかもしれない。
一方僕は思考に脳内発声がない。
なので脳内発声がどうしても発生するローマ字入力を捨てて、
今脳内発声が起こりにくいカナ入力、薙刀式をやっている。
で、さらに調べると、
親指シフトと漢直入力を対比させて論じている人がいて、
親指シフト=脳内発声あり、
漢直入力=脳内発声なし、
と分かれているという仮説を出していた。
これは僕の直感に近い。
そもそも僕がPCによる文字入力を嫌っているのは、
かな漢字変換の存在である。
僕の手書きは漢直入力なのに対して、
脳内発声をさせられるかな漢字変換は、
不快なのだ。
僕にとって漢字を書くのは概念を記す行為であり、
音写ではない。
だから脳内発声なしで書いていく。
だったら漢直覚えろや、
と思うのだが、
流石にそれはハードルが高い。
混ぜ書き変換が出来るIMEの環境整備やら、
薙刀式の上位互換の漢直配列を作らなくてはならず、
ちょっとそれは仕事を圧迫しすぎになってしまう。
なので、精々、
脳内発声なしのひらがなと、脳内発声ありのかな漢字変換の組み合わせの、
カナ入力でお茶を濁している。
で。
整理すると、
思考の脳内発声あり:親指シフト、ローマ字、音声入力
思考の脳内発声なし:カナ入力、漢直入力、手書き
に、なるんじゃないか、
という仮説。
親指シフトの人たちが「指が喋る」というのは、
脳内発声に手が追随している状態のことではないかと思う。
ローマ字の打鍵数より少ないから、
よりその状態に行きやすいんだろう。
一方僕なんかは、
発生より速い打鍵で思考に追いつく経験を、
カナ入力で何度もしている。
脳内発声速度なんかに僕はなんの興味もないわけだ。
そういうことの出来るカナ入力がいくつもありながら、
親指シフト派が巣から出てこないのは、
脳内発声があるからではないか、
というのが僕の見方である。
で、僕は以前親指シフトを試したのだが、
全く僕には合わなかった。
同時打鍵が合わないのではなく、
今思い返せば、
喋るように打つことそのものが、
僕に合わなかったのだと思える。
本を読むときに、
脳内発声のある人とない人がいる。
同様に、考えるときに、
脳内発声がある人とない人がいる。
どっちが優秀とかそれは置いといても、
タイピングには、
脳内発声ありとなしの、二種類があるのではないか?
薙刀式は、どうやら僕のこの性質には合っているようで、
他にそういう人がいたら、試してみて欲しい。
(勿論以前にあげた十傑のどれでもいけるのかもしれないが)
2018年02月21日
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