私たちは万能の人間ではない。
物語の中でも同じだ。
間違いもするし考えが足りない場合だってある。
しかし、その誤りには根拠があるはずだ。
たいていは、「知らないことがある」から起こる。
「全ての情報を知らない」ことが全ての前提であったりする。
世の中のこと全てを知ってるわけではないし、
常識の全てを知っているわけではない。
勿論、世間では「知らなかったで済まされない」
いくつかの常識はあるけれど、
そういうことさえ知らない人も存在する。
あなたもそうかもしれないし、
あなたの身近な人もそうかもしれないし、
電車で隣あわせたり取引先の相手がそうかも知れない。
そして、物語の中の登場人物もそうかもしれない。
あることは知っているが、
あることは知らないはずだ。
ということは、
「その人が知らないこと」を作ると、
話が面白くなるということだ。
知らないが故にする過ち、
知らないが故の誤解などは、
ひとつのプロットになりえる。
簡単な例では、都会を知らない田舎の人がやらかすやつだ。
未開の国からやってきた人が、
車をイノシシだと勘違いするコントは、
どこかで見たことがあるだろう。
そこまで大げさでなくとも、
たとえばエスカレーターでは右側に並ぶ常識の関西人が、
関東では左側に並ぶことを知らず、
右レーンを塞いでしまうというトラブルを描くことで、
プロットのきっかけを作ることができる。
(このことで誰かと口論し、新しい登場人物と知り合わせることも可能だし、
スナイパーが狙っている時に偶然邪魔になることもあるだろう)
あとは、「なぜそのことを知らないのか」
に、劇中で納得のいく理由があればよいだけだ。
「未開の国からきた」とか、
「右側に立つ関西人」が示されていれば、
それはスムーズに話が進むということである。
コンフリクトは他人と他人のギャップに起こる。
だから、「知識や常識が違うこと」を、
その原因にすることは、物語の根本であるのだ。
よくあるのは、外国人と結婚した時の、
数々のトラブルをネタにしたものだろう。
さて、
これらは、常識や知識に対して、のパターンであったが、
「劇中の情報やニュースを知らない」場合もある。
遅れて知らないとか、
あるいは知らされていない、
というパターンだ。
知らされていない、というのは、特に、
何故そうなのか、という理由があるはずだ。
そこに善意や悪意が存在し(動機)、
それが物語の駆動力になるわけである。
まだ知らされていないのにそれを知ってしまうことで、
ターニングポイントになる、
つまり新しい行動に出る、
という場面は作れるだろう。
そこに悪意や善意を感じれば、
反応や判断が出てくるはずだ。
その人は何を知らないのか?
そして何故それを知らないのか?
そこに「理由」があれば、
それは物語になる。
2018年02月21日
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