という興味深い発見をした。
僕は大阪ネイティブである。
標準語は第二言語だ。
喋るときは関西人同士では大阪弁で、
関西人以外とは標準語だ。
複数同席しているときは、大阪弁優位かな。
しかし、
大阪にいる時、書く言葉はすでに標準語だった。
作文や小論文、数学の証明などは、
標準語だった。
小学校低学年では「せやった」とか書いてたかもしれないが、
書き言葉では大阪弁を使わない。
それは学校教育なのだろうか。
これは僕だけでなく、関西人全員である。
関西人は、書き言葉と話し言葉が分離されている。
勿論これは関西人だけではなく、
日本全国の人の特徴だろう。
つまり明治以来の日本の目標、言文一致は、
実は達成されなかった。
僕はちょいちょい地の文で、大阪弁でツッコミを入れたりする。
なんでやねんとかね。
で、今まではローマ字とフリック
(どちらも脳内発声あり)で書いているときは、
標準語だろうが大阪弁だろうが、
等しく脳内発声があった。
手書きでは、標準語の部分は脳内発声なし、
大阪弁の部分は脳内発声ありであった。
これは話し言葉と書き言葉の使い分けとしては、
矛盾がない。
で、カナ入力。
手書きと同じ結果だった。
「なんでやねん」だけ脳内発声がある。
僕のように、
脳内発声なしで書いている人は、
国の言葉で書いてみてはどうだろう。
そもそも友達に書くメールのように、
非常に親しみのある文章なら、
脳内発声はあるかもしれないね。
書くという行為は、誠に不思議だ。
大阪弁で書く作家、たとえば藤本義一はどうなんだろう。
沖縄の言葉なんてそもそもタイピングしづらいよね。
(以前にも書いたが、「くゎ」行の廃止された現代仮名遣いでは、
「ゎ」を使う日本語は、シークヮーサーでしかないそうだ)
そもそも脳内発声をせずに書き言葉を書くのは、
大阪人がみんな、標準語のイントネーションが嫌いだ、
というのも影響している。
「標準語で話す奴は寒い」という空気がある。
だから自然と脳内発声のないように体得し、
脳内発声がある関西人は、書くことが苦手かもしれない。
標準語にネガティブな感情のない場所では、
脳内発声ありのまま書き言葉を体得したかもしれない。
外人はどうなんだろう。
色々な疑問が湧いてくる。
表意文字と表音文字の文化圏で有意差はあるだろう。
そもそも日本語のように、表意文字と表音文字が混在する言語は、
レアだし。
(ハングル語は全面的に表音文字だから、
脳内発声ありと仮説を立てることができそうだ)
そもそも脳内発声なしの人は、
そんなにいないかも知れないしなあ。
(読書で脳内発声なしの人は、2割を切るらしい)
2018年02月22日
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