2018年02月22日

簡単な目次を作ってみよう2

簡単な目次を作る目的は、
全体を俯瞰することである。


全体が見えていれば、部分を全体と比較して考えることができる。

たとえばハッピーエンドになることがわかっていれば、
前半をどうしようもない絶望に落として、
その落差を駆け上がる面白さを作ることができる。

あるいはバッドエンドに終わることが決まっているならば、
幸福の絶頂を前半に作り、
そこから奈落の底に落とすことが可能だ。

最後に笑えるのなら、
その笑いより笑えるものを前半に持ってきてはだめだし、
最後に泣けるなら、
それより泣けるものが前半にあってはダメだ。
大落ちがマックスにならないからである。

端から順番に書いていく方式では、
その落差は計算ではなく偶然に左右される。
奇跡的に落差が生まれればよいが、
必ずそうなるわけではない。
一方、全体を先に作りさえすれば、
全体を調整して、
よりよくしていくことができる。

これが、構成を先にすることの目的である。


あるいは、矛盾の発見などにも役に立つ。
こういう解決に最後になるから、
今これをやるのはおかしい、
などのような矛盾を発見しやすくなる。


で、僕が最も先に目次を作るべきだと考えるのは、
「複数のバージョンを比較できる」ことではないかと考える。

どういう展開にするのか、迷うこともある。
どういう落ちがいいのか、迷うこともある。
もしこれが、全文書きおえてから、
二つ以上のバージョンを作るとしたら、
その労力は果てしない。

しかし、目次レベルであれば、
いくつでもバージョンを作ることが出来るはずだ。
ある要素の有り無しや、
結末違い、展開違いなどはすぐに作れる。
かつ、並べて比較することができる。

もし全文書いたものが3バージョンあり、
それのどれがベストなのか、
考えることを想像してみよう。

読む順によって判断がぶれることがあるだろう。
最初の新鮮さを三読目にも保っていられる保証はない。
大概最初に読んだやつが良かった、
と、だれない時の印象で判断してしまい、
フラットな目線で評価することは難しい。

しかしたかが目次ならば、
ぺら一枚に書いて、
紙を並べて比較できる。

壁に貼ってその前を歩き、
並び替えたりして比較することもできる。

これが可能なのは、
逆に、複数作ったり判断するのが簡単な、
俯瞰の状況だけである。

複数バージョン作るバカはいない。
その労力があれば、
別作品をもう一本つくったほうがいい。
そもそも複数バージョンを正しく評価できるほどの、
眼力の保証がないし。


ということは、
本文を一文字も書かない状態で、
比較検討を十分しておいたほうが、
全然楽で合理的なのだ。


あの要素は入れるべきか不要か、
そんなことはよく迷う。
そのときに、どれだけ俯瞰で考えられるかということは、
書き手の実力と比例する。

俯瞰というのはつまり、
結末まで見えていて、
それがどのようなテーマ性をもっているか、
という一番外の視点である。

そういうことを、
たかが目次を作るときに、
色々考えるのである。



あなたは何本も書いたことがないかも知れない。
何回も挫折したかも知れない。
それは、まず最初にこういうことをしてなかったから、
という可能性を指摘しておく。

たかが目次である。
作るのはすぐだ。

これで色々考えたことは、
何枚ものカードに書いてみよう。
一要素一カードでだ。

それらを並び替えたり、
足し引きしたりすると、
更に全体が考えやすくなったりする。

これがハリウッドでよく使われるカード法である。

カードの枚数は、
14枚×4ブロックの流派もあれば、
10枚×4ブロックの流派もある。
日本映画の箱書きという方法論では、
全体を8にわけ、その中に数枚ずつのカードを並べる。

これらを作り始めても始めなくても、
比較検討は、あくまで目次形式がよい。

なぜなら、カード法はすでに俯瞰の目線から、
ちょっと現場に降りてしまっているからである。

そうではなく、
もっと上から眺めるためには、
目次程度の概要が望ましい。

これらのモヤモヤしたものが、
いずれプロットとして清書されるのだが、
プロットを書く前に、
実はこのような俯瞰と組み換えの試しが、
行われていることは、
なかなか想像できないかも知れない。

で、
「いける」と思う時が、
書き始めに適したときだ。
その時まで、こうやって事前の試しが、
沢山ある。
あるいは、調べ物をして、
それにリアリティがあるかどうか、
普通本物はどうなのかを、
知って行き、フィクションとの距離感を決めていく過程もある。

それも何も、
全ては簡単な目次があるからこそである。


どうしてその話は面白いのか?
それは目次から想像できるのが、
理想である。

逆にこの段階で色々練りこまれていないなら、
それは大して面白くない可能性が高い。
posted by おおおかとしひこ at 20:30| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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