2018年02月24日

リハーサル

何のために、
目次を作ったり、
縦線法をやってみたり、
カード法で発見をしたりするのだろうか?

それは、あなた自身がそのストーリーに慣れる為なのだ。


これらの構想を何もしないで書き始めるということは、
ぶっつけ本番で講演会をやることに似ている。

大体喋ることのネタだけは決めておいて、
喋りながら流れを作る人もいるだろう。

講演会のいいところは、
複数の話をできるところだ。
全然別のトピックを、
一つの時間内にぶちこんでもよい。
最悪落ちがなくてもいい。
楽しかったです、で終えてもいい。


しかしストーリーはそうではない。

関係ない話は存在しない。
全ては物事の解決のために進むし、
脇道があれば、
それがどう本筋と関係しているかは、
遅くとも話が終わるまでには判明するべきだ。
(理想は途中でわかること)
話の意義が確定した時、
それがすべて念入りに準備されたことに気づくものだ。


講演会に比べて、
ストーリーというものは、
もっと緊密で、
もっと論理立てて、
しかももっとノリがよくなければならない。


何も準備せずにストーリーを書き始めることは、
無手で講演会にいき、
講演会以上の仕事をすることに等しい。

そんなうまいこといくわけないやんけ。



目次を作ったり、
ああでもないこうでもないと考えたり、
色々なバージョンを作ってみたり、
前のを消して新しいのに書き換えたり、
まとめて一覧したり、
矛盾に気づいて直したり、
などの、事前行為は、
全てリハーサルである。

あなたの本番、つまり執筆そのものの、
リハーサルなのだ。

リハーサルを沢山しているからこそ、
本番で起きるアクシデントにも対処できる。
それは既に考えたことに、
大抵属しているからである。

むしろ、大体考え尽くしたから、
書き始めるのだ。


通し稽古に近いのが、
僕はプロットを書くことだと考えている。
今までの構想や部分的なものを集めて、
一度全文日本語で通しで書いてみる、
ということだ。

これで初めてほんとうの読後感、テーマに、
気づくこともあるかもしれない。
それは本番にフィードバック出来る感触になりえる。

その中で最もよくあるやつのひとつは、
「もっと強弱をつけたほうがいい」だろうね。
一部だけを見ていてわからないことの筆頭だと思う。
もっと落差を、あるいはもっとフラットに、
もっと強く、もっと弱く、
なんてのは、全体が見えていないと出来ない判断だ。

あるいは、
「〇〇は△△に変えたほうがいい」
なんてのもよくある判断だ。

それは通した時に初めてわかる感覚だったりする。



逆に、本番で初めてそんな感覚を覚えてしまったら、
途中変更ばかりで、ガタガタのものになるだろう。
おそらく行き着くべきゴールにすら、
うまくたどり着けなくなる。

ゴールを決める瞬間の、
見事さ、爽快さ、
つまりは落ちこそがストーリーの命だというのに。



ということで、
これらの準備行為は、
あなた自身があなたのストーリーに慣れるためにやるのだ。
ストーリーが形をなしてくると、
キャラクターが立ち始めたり、
世界観がどんどん構築されてゆくはずだ。
その世界に浸り、
色んな登場人物の目線から世界を眺めて、
自然になるように体に通す作業が、
準備行為ではないかと僕は考えている。


役者は自分の役だけリハーサルしとけばいいんだけどさ、
脚本家は全部の役をリハーサルするんだぜ。
役者の本番は撮影だけど、
脚本家の本番は執筆だからね。
posted by おおおかとしひこ at 16:23| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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