2018年02月26日

【薙刀式】脳内発声と思考の話、つづき

こんなものを見つけたので。

あなたの思考は音声?テキスト?それとも…?
〜「頭の中のアレクサンドリア大図書館」反応まとめ〜
https://togetter.com/li/895310


思考はどういう形か。
それはこんなにも、人によって異なるようだ。

思考が音声な人は、
手書きそのものがやりづらく、
(漢字が煩わしいだろう)
親指シフトや新下駄などの、
一音(モーラ)が一キーに対応している入力方法
がとても心地いいに違いない。
(親指シフトは清濁、新下駄は清濁拗外来音が1アクション)

僕は思考に音声が介在しないので、
人の発言を一字一句覚えられない。
「こういう意味のことを言っていた」
ということは覚えているが、
文字面まで記憶に残らない。
だから記憶科目全般が苦手だ。
反対に写真記憶があり、ビジュアルの記憶は大体出来る。

興味深いのは、
感覚の違う人同士の、教育の問題である。
こうすればいいんだ、
という押し付けがあると、
仕組みの違うものを押し付けられ、
伸びないと考えられる。

それは大人になっても同じだと思う。

「みなさんこうされています」というものに、
僕は憤りを感じていた。
言うまでもなくqwertyローマ字だ。
それは字を書く仕組みではないと僕は思っていて、
親しい人にそう主張したこともあるが、
「僕はそう思わない」と一蹴された。
彼らは思考の仕組みが違ったのだろう。

たまたま周囲にいる人と仕組みが違うだけで、
疎外を感じる孤独な人がいるかもしれない。
これを知った人は、
ひょっとするとこの人は、と感づいてあげられると、
優しい世界になるだろう。



ということで、
脳内発声ないまま思考をし、
脳内発声ないまま字を書く人は、
漢直が向いている。

しかし僕は記憶に不安があるので、
仮名漢字変換を併用する、
カナ入力が向いているようだ。

仮名漢字変換は読みが必要なので、
そこだけ音声があって不快だけど、
まあしょうがないと割り切った。
そのかわり、濁音も拗音も外来音も、
1モーラは1アクション(同時押し)で打てるように、
薙刀式はつくった。
これは漢字の読みや表音の外来音をなるべく短時間で済ませるためだ。
僕にとって音は邪魔だからだ。

ついでに薙刀式は、
日本語の中核の言葉が高速なアルペジオで打てる。
N音の集まりではなく、
僕にとってはひとかたまりで存在する概念みたいなものを、
一息に打てるようになっている。
音声で考えないということは、
意味の塊を操作するということで、
それをタイピングに反映させた配列なのである。

(逆に僕は、「音声と一致」するという、
親指シフトや新下駄に魅力を感じていない。
モーラよりも文節単位に興味がある。
カタナ式はローマ字という脳内発声があるタイピングでありながら、
文節単位で左右のアルペジオを仕込んだのも、
僕が音による思考に左右されていない証拠だ)


ていうかみんなそうしてると、
脳内発声について考えるまで思っていた。
いやいや、こんなに思考の仕方にはバラエティがあるのか。
他人の相互理解というのは、
ほんとうに難しいのだなあ。
(一応話が通じるのもすげえよ)
posted by おおおかとしひこ at 10:35| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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