2018年02月28日

プロットを人に話す

やってみると重要なことであることがわかる。

話しているうちに、
「なんでこうなるんだろう」
という穴が出てくるからである。


それが一つも出ないのは、
まずまず完成後れたプロットといってよい。

しかし大抵の制作中のプロットには、
「なんでそうなるんだっけ」という穴があったりする。

自分じゃない人に説明することで、
それを客観的に眺めることができる。

バーチャルでもいいけど、
誰かほんとの人の方が手っ取り早い。

その人が理解しているかどうか、
疑問に思っているかどうかは、
顔を見ればわかるからである。

自分の中では当たり前でも、
他人から見たら変な部分。
それが客観性を欠く部分である。

バーチャル観客では自分の都合の良い反応しか出来ないことがあるので、
友人などに協力を仰ぐべきだ。

しかも今までの構想を一度も話していない、
初見の人が良い。

飯にでも誘い、頭から尻まで一気上映をすると良い。
プロットだから10分もかかるまい。
詳しく語っても30分かからないだろう。
その説明で、あなたは余計な部分や足りない部分に気づくはずだ。

思ったほど盛り上がらないとか、
計算通りとか、
説明に違和感を覚えるところとか、
細々した発見を必ずすることになる。

いやあ完璧なプロットだね、名作間違いなしだね、
となることはほとんどないと思う。

あれが足りない、ここももっと深く作らないと、
という反省だらけになるはずだ。


そしてその親しき観客に聞いてみると良い。
「この作品のテーマはなに?」と。
あなたの思っていることが伝わっているとは限らない。
概ね合っていたら、
あなたの伝えたいテーマが、
伝わる構造になっているということだ。


その友人の批評は参考になるだろうが、
丸ごと信じてもいけない。
その批評家がどれだけ客観的かは、
批評家しだいで、
主観的な批評かどうかはあなたも分からない。
(その友人にも好みがあることくらいあなたも分かっているだろう)

だから感想批評は参考にする程度でよくて、
あなたが伝えたいテーマが伝わるかどうか、
だけを基準にするとよい。

テーマはプロットを聞けば大体わかるものになっていれば、
それは強い強度を持った話である。
「なにが言いたかったのかぼやけている」と言われたら黄色信号だ。

ディテールに走っていて、
テーマが何かわからない作品の可能性がある。

それは構造からやり直さないと、
小手先の変更では難しい。
事件の概要や解決の仕方から変える必要があり、
そうすると中盤も半分くらい交換しないといけないかも知れない。

大胆な変更が利くのは、
プロット以前の段階だ。
実際の執筆に入ってしまったら大幅変更はキツイ。
賽の河原の積み上げのようになってしまう。

あなたが熱量を持って語れるのは、
何度も何度も変更したものではないはずだ。



人に話す経験は、
自分に客観的になる経験でもある。
人に話す段になってはじめて、
説明がとろいなとか、
この段取りなくてもいいなとか、
飛躍しすぎているとか、
冷静になれるものである。

語り口は情熱的に。
頭の中は冷静に。
冷静と情熱の間を行き来する、
作家とは難しい仕事である。
posted by おおおかとしひこ at 12:43| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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