あるシーンをバッサリ切ったらどうなるか?
よくあるのは、
ラストの試合をバッサリ切って、
結果だけ見せるパターンだ。
それによって想像を膨らませるわけだ。
しかし切りすぎて不満が募ったり、
分からなくなってしまうのは本末転倒である。
あえてバッサリ切ることが出来るのは、
達人だけである。
大抵はよく分からなくなるだけであることが多い。
しかし達人に至るためには、
あらゆるバッサリ経験を積んで、
失敗してみるのが良い。
自分のシナリオでもよいし、
他人のシナリオでもよいし、
一般の名作でもよい。
ワンシーン切ることが許されるとしたら、
何を切るのが妥当か?
を考えてみるのは勉強になる。
もし編集機があるんなら、
ワンシーン切った映画を作ってみると良い。
シナリオなら×をつけるだけだから一瞬だ。
出来上がったものが妥当かどうか、
頭から一気に見てみたまえ。
ここが難しいのだが、
それが妥当かどうか判断するのは、
すぐでない方が良い。
人間は、最近のアイデアほど優れているという錯覚がある。
一週間後とか、忘れた頃に一気見をするのが良い。
で、それは、
想像が膨らむカットであったかを検証する。
次は、
一つのセリフに挑戦しても良い。
一つの言葉に挑戦しても良い。
何かを切ることで、
どういう風に全体が変わるのか、
それは説明過多なのが普通になったのか、
少し想像の余地がある遊びをもったのか、
情報不足でよく分からなくなってしまったのか、
そのチューニングの判断力を養うことができる。
映像でやるとわかりやすいが、
それはシナリオと連動している。
シナリオと映像があるのが理想で、
シナリオでやってみて、その後映像でやってみて、
予想通りになるか、予想と何が違ったのか判断して、
予測能力を磨いていかなければならない。
これらの判断力がない素人がシナリオを書くと、
リライトでめちゃくちゃになってゆく。
どこを切ったらどうなるか、
予想できなければ、手術も失敗しやすいよ。
切ったらどうなるか分かるのは経験だ。
普段から切ったり貼ったりして、
予測と現実を比較しながら、
感度を磨いてゆくのだ。
2018年03月07日
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