2018年03月09日

【すーざんさんへの回答箱】なぜCMはつまらないのか

>最近、ホットペッパーやファンタ(3年●組、●●先生!)のような、面白くて印象に残るCMがない気がします(BOSSは続いていますが)。これも予算不足や、視聴者のクレームを恐れた忖度が原因なのでしょうか。あるいは作り手のセンス不足でしょうか。

ざっくりいうと、
「もうみんながテレビを見ていない」
からではないでしょうか。


僕がCM業界に入った20年前は、
ネットがありませんでした。
マスにコミュニケーションする手段は、
テレビか雑誌か新聞かラジオしかありませんでした。
SNSはないし、YouTubeもニコニコも、
2ちゃんねるも、
メールも写メも、ありませんでした。
Windowsの発売が95年なので、まだインターネットは好事家のものでした。

マスコミュニケーションの時代「だった」ともいえます。
(今はマスではなく、個人同士のつながりしかない、
村社会に戻りつつあるような気がしています)

人気者になるには、テレビに出るしかありませんでした。

YouTuberはいないし、ラジオから出るしかなかったかもしれません。
(事実、ラジオへのハガキ投稿職人が唯一、
局に才能をアピールする手段だったかもしれません。
そこからテレビ局にスカウトされて放送作家になるわけです。
たしか秋元康もその一人)


テレビが唯一絶対の娯楽で、世間でした。
そこの人気が人気のすべてでした。


だからCMは、そこで人気者になろうとします。
日本が元気だったから、
笑える面白CMが人気でした。
面白CMは、バブルで調子に乗って、
気分や文化が花開いた時代特有のものかもしれません。元禄文化と似たような。

ただ面白いだけではなく、
泣かせるやつや、すごいやつなど、
映画に勝るとも劣らぬ、すばらしいCMをつくって、
話題に、人気になろうと、
たくさんのクリエイターたちが、
たくさんの予算を使っていました。

バブル期は、5000万7000万の製作費のCMは当たり前。
僕が入社した当時は、
3000万が「ふつうの」CMの予算の基準でした。
でも今は1500あればよいほうで、
1200や1000のあたりで闘いがあります。

それは、テレビCMへの、
みんなの期待値が下がっているからだと僕は思います。
クライアントも、
そんなに金をかけて効果があるのか疑問に思っています。
(ちなみに作るお金にくらべて、電波代は、
その10倍程度かかります。
これがテレビ局の唯一の収入源です。
たとえば1000万のCMを作ってオンエアするには、
大体1億のお金を用意しなければなりません)

何年か前に僕が批判したペプシの桃太郎は、
電波代を全部製作費につっこんで豪華なCMを作り、
ネットでしか公開しないという、
テレビを否定する試みでした。
政治的試みは大変面白いのに、
内容が惨敗的にパクリの横行であることが、
大変嘆かわしい作品でした。


さて。
ここからが重要です。

CMの内容は、予算と比例しますか?
という問いがあります。

安くても面白いアイデアは出せる、
とも言えるし、
やはり豪華なものも見たいともいえるし、
大きな金で一流を雇いたいともいえるし、
大きな金で才能ある人に新しいことをさせないと停滞する、
とも言えます。


で、結局は、
誰も昔ほどテレビを見ていないから、
CMに金をかけなくなったし、
唯一の場で人気者になる手段ではないから、
そこまで「テレビで人気になること」に必死じゃなくなったと、
僕は思います。

面白さが人気になる唯一の手段でない限り、
「面白さの競争」が起こりません。


たとえば邦画は、
儲かることが前提、と言い始めたとき、
人気俳優を出したほうが客が来る、
人気原作を使ったほうが客が来る、
となって、
結局内容の面白さから逃げた節があります。
特典映像つけることでコレクター価値を出したはいいが、
肝心の内容が惨敗な円盤の例もあります。


それは、
「面白いことを判定するのは、力がいる」
からです。

それが面白いかどうか、
一人で判定できればその人の責任になりますが、
日本のビジネスは集団責任です。
「僕は面白いと思わない」の意思の齟齬があると、
意見は通りません。

だから昔の企業の宣伝部は、
よく映画を見たり、演劇を見たり、
音楽や小説を見ていました。
何がいいか、つねに情報交換したり、
「おまえわかってねえなあ」と飲み屋で朝まで議論していました。
今は22時に帰宅ですね。

今の宣伝部は、そうした文化をあまり知らない、
普通のサラリーマンが増えましたね。
テレビCMは企業の最先端、エッジである、
という意識が薄れてきたんでしょう。


こうして、
卵が先か、鶏が先かわかりませんが、
「テレビCMでお茶の間を沸かし、
リッチな、オリジナルのエンターテイメントで、人気者になろう」
と考える企業が、ほとんどいないのが現状です。

いないから、クリエイターの意識も下がります。
予算も少ないし、そんなに注目もされていないし、
炎上などの恐怖だけはあるし。
ここでいっちょ爆発的に面白いのをつくろうという気概のあるクリエイターは、
「色々あったときに会社として責任が取れるのか」
という問いに、つぶされていきます。

結果、
「クライアントが言いたいことだけ言って、
あとは人気タレントをブッキングしていればいいんでしょ」
という志の低いものが横行することになります。
それを「志が低い」と僕が批判しても、
そもそもの志の高さを知らないから、
伝わらないくらい、
クリエイターなる人種は腐りかかっています。
面白い映画も知らない、面白い小説も知らない、
ストーリーなんてどうでもよくて、
一瞬バズればいい、
なにかすでにあるものをパクッて、
パクリ元のYouTubeをプレゼンして、
「この通りつくります」で仕事は終わっています。


かつては、
オリジナルをどう作るか、
企画会議とは泥沼の闘いでした。
一日中会議室に軟禁状態で、みんなで面白いものを朝まで考え出していました。
一日中ではなく、
それは一週間も十日も一か月も続くのは常識でした。

それはそれはつらいものです。
みんないろいろ見てきたすごい人達が、
納得する面白いものができるまで、
終わらないんですから。
それを超えて、面白さに到達できた人だけが、
クリエイターと呼ばれていました。
もちろんネットはないので、
その場に身一つで行き、
身一つで資料なしで面白い企画を白紙に書いていく、
ということをやっていました。
「なにを頭の中に持っているか」
だけで勝負していました。

いまは困るとすぐに検索。
出てきたものをマネするだけ。
これで面白いオリジナルなんてできるわけがない。




ここまでは、すべてネットのせい、
ということも言えるかもしれません。

メディアとしてのネットができたので、
テレビの唯一性、優位性がきえたこと。
炎上を忖度して表現が丸まったこと。
ネットですぐ検索できるから、
必死で覚えて頭の中で考えることをしなくなったこと。


でも。
面白いことがいらなくなったわけではないし、
面白いことを皆が本気で求めているのは確かです。

テレビCMの現場は、
その場ではもうないのかもしれません。

僕は10年前くらいからこの傾向をずっと感じていて、
だから引退をずっと考えていました。
さっさと映画業界に行こうかなと。
でも映画は映画で金がないし、
原作がないと金も集まらない状態で、
行先がないまま、ずるずると古巣に残っている感じです。
こうして真綿で首を絞められ続けたまま、
歳になる、つまり才能が枯れたり、
家や会社の状況で引退する先輩、同輩たちが増えてきました。

そもそも僕がブログを始めたのも、
なかなか世に出ない僕の才能を披露する場を設けたいと思ったからです。
「作品置き場」と名付けて、
没企画をアップする場にしようと思ったんですが、
昨今のコンプライアンス問題で、
没コンテも公開してはならない、
というお達しがきて、
ここはなんとなく書き始めた脚本論の場になっています。


CMは世の写し鏡と、言われてきました。
なんで最近のCMは面白くないのか?
は、もとをただすと、
なんで最近の日本は面白くないのか?
という問いになります。

エネルギッシュで、充実した日本になるためには、
どうすればいいのか、僕はわかりません。
とりあえず、面白いことは作り続けます。
それが認められようと認められるまいと、
面白いことを作らないと面白くないので。
仕事としてできないなら、
自主でつくるしかないなあと、
最近は考えていますが。

音楽業界が最近そうなっていますね。
でも映像は音楽とけた違いに金がかかるので、
(たとえば「3年B組ドラゴン先生」は3000万、
ボスの「Tell me ガツン」は5000万程度かかっていると予測します。
大きくは人件費です)
それをどうすればいいのか、出口が難しいところです。


「面白さはお金になるんだ」
「これは面白くてこれは面白くない」
とちゃんと言える人が増えれば、
面白いCMは増えるかもしれません。

あ、ちなみに日本のCMの賞レースは、
審査員が作ったCMにしか賞を上げないサロンになっていることは、
審査員と受賞作とスタッフリストを見比べることで、明らかです。

回答になっているでしょうか。
posted by おおおかとしひこ at 18:35| Comment(4) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつも楽しく拝見しています。(大岡さんの作品は全部見ました!)

大岡さんに一つ、質問がありコメントさせて頂きました。
メアリースーが良くない、という話は、よく出るかと思います。私も、映画、漫画、ドラマ、小説、CM、何にしてもメアリースーは嫌いで、見聞きしているだけで、途中で投げ出したくなります。

ただ、一方でメアリースーの物語で売れている作品も事実としてあって、というか、メアリースーの物語だからこそ売れている作品も、かなりあるかと思います。世の中には、メアリースーがたくさんいる訳で、そういう人たちの心を慰めてくれる作品になっているわけです。

私はメアリースーは、本当に頭を抱えたくなるぐらい嫌いなのですが、癒やされている人が、世の中には相当数いるのもまた事実という認識もあります。

とすると、あながちメアリースーは間違っていないのでは?と思う時もあります。世の中にメアリースーがたくさんいる。だから、メアリースーの物語を求める人がたくさんいる。であれば、メアリースーの物語を作る作家がいても、不思議でないし、一面では正しい気もします。

メアリースーの作品が多いのは、今の時代は世の中にメアリースーが溢れかえっていて、メアリースーを求めているため、と解釈することはできませんでしょうか?

大岡さんは、この点に関して、どのようにお考えでしょうか。ご意見を聞かせていただければ、幸いです。

Posted by トンキ at 2018年03月09日 23:37
トンキさんコメントありがとうございます。

大人が消えて子供ばかりが増えてることと関係あると考えます。
卵が先か鶏が先かですが、
水は低きに流れます。
僕は、文化というのは志の高さだと考えていて、
低きに流すのは文化と認めません。
Posted by おおおかとしひこ at 2018年03月10日 05:09
大岡様 お世話になります。とても丁寧な返信ありがとうございました。質問をしたそもそもの発端は、ホットペッパーのCMが未だに人気アニメでパロディー化されており、このように長く愛されるCMは昨今あるだろうか、と思ったからです。

何気ない疑問でしたが、自分が思う以上に根が深いと気づかされました。CMに限らず、日本そのものの問題なのですね。トンキさんが質問されているメアリースーもまた、面白さを判定する力や、オリジナルを作る意欲に繋がる問題だと感じました。

志が低い作品が濫造され、この程度でいいのか、とハードルが低くなり、更に低い作品が基準になるのは、文化の衰退を助長させるのではないでしょうか。

ちなみにですが、ライトノベル業界では、ここまで来ているようです。

出版ノルマに追われて……ライトノベルは「編集者の代筆が当たり前になっている」という惨劇
http://www.cyzo.com/2018/02/post_151237_entry.html
Posted by すーざん at 2018年03月10日 19:42
すーざんさんコメントありがとうございます。
うっかりした簡単な質問が、底抜けの沼になっていたパターンですね。
あんまり使いたくない言葉ですが、日本は民度が下がっていると思います。
ホリエモンあたりからかなあ。ばれなきゃなにしてもいい、
みたいになってきたように思います。
働かないで所得を得ようとする金融の流行と、関係があるような、ないような。
底なしすぎるのでこのへんで。
Posted by おおおかとしひこ at 2018年03月11日 02:41
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