2018年03月11日

文化と商売

映画やドラマは、物語を売り、金を稼ぐ商売である。
これは文化を形作ってきた。
しかし最近商売が勝り過ぎている気がする。


視聴率偏重主義あたりから、
「売れればなんでも良い」という流れになってきた。
人気の人が出てればなんでもよい。
受ければなんでもよい。
その思想は、
「人は何を求めているのかを調査し、
それを皿に盛って出すこと」
ということが仕事だと勘違いさせてしまう。
マーケティングである。

人が求めているものが言葉でわかるなら、
それは現状維持でしかない。
アレとアレとアレがある中で、
アレが欲しいと指差すだけだからだ。

僕が言う人類を前に進める文化とは、
その棚の中にないものを言っている。

それがヒットするかどうかは分からないが、
もし広まったら確実に新しく、
前に進められるもの、
のことである。

これは、マーケティング理論と相性が最悪だ。
だって統計に出てないし、
そもそも「その項目が存在しない」からである。

マーケティングとは棚にあるものからアレンジすることで、
文化とは、新しい棚を作る行為であると、
僕は考えている。


テレビが全盛期だった、
70年代から10年代までの約40年間は、
マーケティングと前に進めることが、
両輪として回っていたと思う。

しかしいつの間にやら、
受けるものしか用意しない、
という現状維持消極的なものばかりになった。

僕が新しい企画を出したら、
「攻めますね」なんて言われるようになった。
は?守るのがお前らの仕事なの?

攻めと守りでいえば、
今はつまり、いつのまにか守りの時代になってしまったのではないかな?


文化が前に進み、お金が回った、
文化の元禄時代は、もう終わってしまったのかも知れない。
不景気で清貧で、
炎上回避で、
すでにあったものの再生産で、
安パイばかりの、
「一度見たもの」ばかりになってしまうのかも知れない。

俺は聖闘士ではないが、
一度見たものは俺には通用しない。
だから、日本のテレビも映画も、最近は退屈の方が多い。

新しく文化を生んで行こうという場は、
まだ日本にあるのかは知らない。
そもそも40年の元禄時代は、
生もうと思って生んだのではなく、
たまたま発生した奇跡だったのかも知れない。
多くの人々が無意識に動いた結果出来上がった、
ただのさざ波だったのかも知れないし。


志のある漫画家は紙面ではなくネットで描くという。
志のあるバンドはライブハウスでやるという。
つまりは、芸術家が食えない時代になり、
商業芸術は、ただの商業に成り下がっているという、
二極化が進んでいるということだ。
小劇場の演劇は、ずっと前からこうなってたかもな。


僕はこの事態をずっと憂いているのだが、
仕事が発生しないのでしょうがない。
自分の才能が枯れた可能性もあるが、
てんぐ探偵を最後まで見た人は、
大抵(悪いところもあるが)面白かったと言ってくれるので、
0になったわけではなさそうだ。
(実際、今作っている60秒のドラマはなかなかよいですよ。
解禁になったら報告します)

つまりは、前を進める才能には、
怖くてみんなベットしなくなり、
現状維持をする才能で、
仕事をただぐるぐる回す閉鎖性が、
まさって来たということである。


ということで、
志ある人は自主制作を続けるしかない、
というのが、今のところの僕の結論だ。
次の元禄時代は来ないかも知れない。
しかし腕だけはギリギリに磨き、
最高の作品を作ることはするべきだ。

儲からないけど魂のこもったものと、
現状維持で儲けるものと、
二つを同時にこなせれば、生活も心も安定するかもな。
タモリがいいともをやりながら、
タモリ倶楽部をやっていたように、
バランスが取れるのがいいんだが。


どうやって時代のフロントに行くか。
分かりにくい時代になってしまった。
インフルエンサーやユーチューバーもそろそろ限界か。

あなたは、文化を前に進めたいのか?
商売で儲けたいのか?

書きたいものを書いても売れなくて、
片手間に書いた適当なシャーロックホームズが大ヒットした、
コナンドイルの例もある。
結局は面白いか面白くないかだとは、思う。
posted by おおおかとしひこ at 13:32| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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