映画やドラマは、物語を売り、金を稼ぐ商売である。
これは文化を形作ってきた。
しかし最近商売が勝り過ぎている気がする。
視聴率偏重主義あたりから、
「売れればなんでも良い」という流れになってきた。
人気の人が出てればなんでもよい。
受ければなんでもよい。
その思想は、
「人は何を求めているのかを調査し、
それを皿に盛って出すこと」
ということが仕事だと勘違いさせてしまう。
マーケティングである。
人が求めているものが言葉でわかるなら、
それは現状維持でしかない。
アレとアレとアレがある中で、
アレが欲しいと指差すだけだからだ。
僕が言う人類を前に進める文化とは、
その棚の中にないものを言っている。
それがヒットするかどうかは分からないが、
もし広まったら確実に新しく、
前に進められるもの、
のことである。
これは、マーケティング理論と相性が最悪だ。
だって統計に出てないし、
そもそも「その項目が存在しない」からである。
マーケティングとは棚にあるものからアレンジすることで、
文化とは、新しい棚を作る行為であると、
僕は考えている。
テレビが全盛期だった、
70年代から10年代までの約40年間は、
マーケティングと前に進めることが、
両輪として回っていたと思う。
しかしいつの間にやら、
受けるものしか用意しない、
という現状維持消極的なものばかりになった。
僕が新しい企画を出したら、
「攻めますね」なんて言われるようになった。
は?守るのがお前らの仕事なの?
攻めと守りでいえば、
今はつまり、いつのまにか守りの時代になってしまったのではないかな?
文化が前に進み、お金が回った、
文化の元禄時代は、もう終わってしまったのかも知れない。
不景気で清貧で、
炎上回避で、
すでにあったものの再生産で、
安パイばかりの、
「一度見たもの」ばかりになってしまうのかも知れない。
俺は聖闘士ではないが、
一度見たものは俺には通用しない。
だから、日本のテレビも映画も、最近は退屈の方が多い。
新しく文化を生んで行こうという場は、
まだ日本にあるのかは知らない。
そもそも40年の元禄時代は、
生もうと思って生んだのではなく、
たまたま発生した奇跡だったのかも知れない。
多くの人々が無意識に動いた結果出来上がった、
ただのさざ波だったのかも知れないし。
志のある漫画家は紙面ではなくネットで描くという。
志のあるバンドはライブハウスでやるという。
つまりは、芸術家が食えない時代になり、
商業芸術は、ただの商業に成り下がっているという、
二極化が進んでいるということだ。
小劇場の演劇は、ずっと前からこうなってたかもな。
僕はこの事態をずっと憂いているのだが、
仕事が発生しないのでしょうがない。
自分の才能が枯れた可能性もあるが、
てんぐ探偵を最後まで見た人は、
大抵(悪いところもあるが)面白かったと言ってくれるので、
0になったわけではなさそうだ。
(実際、今作っている60秒のドラマはなかなかよいですよ。
解禁になったら報告します)
つまりは、前を進める才能には、
怖くてみんなベットしなくなり、
現状維持をする才能で、
仕事をただぐるぐる回す閉鎖性が、
まさって来たということである。
ということで、
志ある人は自主制作を続けるしかない、
というのが、今のところの僕の結論だ。
次の元禄時代は来ないかも知れない。
しかし腕だけはギリギリに磨き、
最高の作品を作ることはするべきだ。
儲からないけど魂のこもったものと、
現状維持で儲けるものと、
二つを同時にこなせれば、生活も心も安定するかもな。
タモリがいいともをやりながら、
タモリ倶楽部をやっていたように、
バランスが取れるのがいいんだが。
どうやって時代のフロントに行くか。
分かりにくい時代になってしまった。
インフルエンサーやユーチューバーもそろそろ限界か。
あなたは、文化を前に進めたいのか?
商売で儲けたいのか?
書きたいものを書いても売れなくて、
片手間に書いた適当なシャーロックホームズが大ヒットした、
コナンドイルの例もある。
結局は面白いか面白くないかだとは、思う。
2018年03月11日
この記事へのコメント
コメントを書く