2018年03月14日

沈黙こそ言葉

セリフは必要か?
常にそれを考えているか?

ちょっと上級者向けの話かもしれないが。


そもそも、説明が下手な人がとても多い。
自分が、言葉が少し不自由なんだと思うといい。

必死で説明して、
うまいこと言えなくて、
それでもなんとか説明の意思を放棄しないこと。
まずこれは基本中の基本である。


次に慣れてくると、
伝えたいことはなにか、
を整理できるようになる。
色々説明でいっぱいいっぱいだったものが、
「最低これさえ伝わればいい」
と割り切れるようになってくる。

もちろん、あとのものは全部説明してもよいけれど、
全部は持って帰れないから、
最低これとこれとこれにポイントを絞るということをやるようになる。

ひとつに絞れないことはよくあることで、
優先順位をつけながら、
どうにかやっていくのが日常となる。

で、たった一つに絞ることを、意識するようになる。
相変わらず説明は下手で、
でもなんとか説明を絞っていく。


そうすると、
必要なことと必要でないことで、
軽重をつけられるようになる。

重要なことは説明が豊かで分量が多く、
そうでないものは薄くなってゆくように。

説明する文字数が一定なら、
必要なところに労力をかけるべきだという合理性が、わかってくる。

ここまでが中級のレベルではないかと思う。


この次は、
省略することである。

重要な部分を、「言葉を減らす」ということで、
強調出来るようになる。

たとえばうるさい渋谷の雑踏が、
一瞬静かになったとしよう。
そこは重要なポイントだよね。

うるさい雑踏をよりうるさくするのは普通の強調だけど、
そこを無音にするのも、省略による強調だ。
注目するからね。
それをわかって、使えるかということだ。


「どういうこと?」というセリフのあとに、
滔々と説明をするのはまだまだ初心者だ。
中級者は、必要な説明を重要なところだけうまく抜き出せて、
コンパクトに、印象深くつくれると思う。
なんなら印象に残るような名台詞に仕立て上げることもあるかもだ。

上級者は、
『相手の唇を人差し指でふさぐ』などのように、
説明しない。

もちろん、それまでの文脈でその効果は変わる。
それが説明をじらすことになるかもしれないし、
その後振り返ったら、
すべてがわかるように絵が用意されているかもしれないし、
あるいは、言葉が必要ないくらいに、
内容が察せられるのかもしれない。

それはそれまでの流れと、どうしていくか次第だ。


こういう技を身に着けていないと、
なかなか「説明を味わう」ということまでは、
達しないように思う。

もっとも、説明なしで察する能力は、
最近下がっているような気もするけどね。


説明しなくて、省略することで、
強調することは可能か。
ときどきそう考えてみることが、
この技を身につけることの入り口だろう。
posted by おおおかとしひこ at 16:51| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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