2018年03月19日

結局、構成力なのかもなあ

ストーリーを書くことに一番大事なことはなんだろう。
人を観察する力か。名作を見ていることか。
斬新なアイデア力か。まとめる力か。セリフ力か。
あるいは取材力か、客観力か、政治力か。
それも必要だろうけれど、
「これがないとストーリーとしてはダメだ」
という根本は、構成力ではないかなあ、
と考えている。


「構成力」と一般にいうとき、
ほとんどは空間の構成力になってくる。

写真の構成力を言うときは、
ほぼ構図と同義である。

組織の構成だって人員の配置という、
機能に関する空間配置である。

音楽の構成だと、
二つの意味があって、
時間的な構成と、楽器の編成の二つの意味が出てきたりする。
(後者を前者と区別するために、
編成という言葉があるのだろう)

これが、ストーリーでは全く事情が異なることに注意されたい。

ストーリーにおける構成とは、
100%「時間軸に関する構成」のことをいう。

時間に関する構成、というとよくわからなくなるので、
「何がどういう順で起こるか」
という定義だと思うと良い。

つまり、ストーリーの構成力というのは、
何がどういう順番で起これば、
面白く、自然で、かつ最終的に結末がよくなるか、
を、一から作り出したり、
途中で修正したり出来る力のことをいう。

「順番」は、厳密にはシーンの順番をささない。
出来事の単位で考えるべきで、
シーンはその下位概念でしかない。

これが起こる、
次にこれが起こる、
これがこうなってこうなる、
次にこれが起こり、
最終的にこうなる。

これを作ることが、構成を作るということだ。
そして更に重要なのが、
「この構成で、あるテーマを暗示できているか?」
だ。

テーマは「ひとつの文(単語ではなく)」で表されるものだが、
それを使わなくても、
その構成を見ればそういう意味になっている、
というのが、出来た構成というものだ。


つまり、ただ面白いことをうまいこと並べて、
面白く自然な起承転結を作っても、
それは仏作って魂入れずでしかない。

それまでのストーリーは、落ちで結末がつく、
そこでテーマが確定するように、
構成で示さないといけないのだ。
構成がテーマを示していないと、
テーマにならないのだ。


簡単な例を。

テーマ:勧善懲悪
構成:悪が勝つ。
正義は追い込まれる。
しかし多くの無名の正義が協力して、
最後に悪に勝つ。

テーマ:自信は愛を勝ち取る
構成:自信のない男が恋をする。
しかし何も出来ない。
彼女に関わる何かで、男は自信があるように生まれ変わる。
彼女の愛を勝ち取る。

などのようである。

ここでは簡略化した構成を書いたが、
ストーリーの一番上のレイヤーは、
このような簡略化したものであるはずだ。
(さらにそれを簡略化したのがログラインである)


構成を練る、ということはこういうことだ。
どういうことのあとにどういうことがあるのか、
その順番を決めることで、
どういうテーマを語ったことになるかを、
考えることだ。

さらに詳しく構成を書くときに、
そうなることが自然でかつ面白くなるように、
さらに練っていくことが、
構成を考えるということだ。

それを変更したりしたときに、
全体がどういうものになるか考えたり、
思ったものと違うときに、
このように構成を直せばこのようになる、
と考えられることが、
構成力がある、ということである。


構成は、つまり、
ストーリーをブロックに分けて、
それらをパズルのように組み上げる行為である。

ストーリー以外の構成では、
空間的構成、つまりは二次元や三次元の構成がある。
しかしストーリーの構成とは、
「一次元に関する構成」であることに注意されたい。
何の次に何がくるか、
たったこれだけのことしかオペレーションはない。
にも関わらず、狙いすましたように、
無駄なくテーマに落ちてくるのが、
よい構成である。

写真や空間しかやっていない人は、
この一次元の構成という、
ストーリーにしかないものを知るべきだ。

一次元の構成だけでいうと、
音楽や料理やダンスも持っている。
しかしその複雑さにおいて、
ストーリーの一次元構成は、
群を抜くであろう。


どういうことが起こる?
次にどうなる?
そして最終的にどうなって、
その全部が結局何を意味する?

たったそれだけのことだが、
ストーリーのすべてでもある。
posted by おおおかとしひこ at 13:26| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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