2018年03月21日

原始的であること(「バーフバリ1」評)

バーフバリ熱が冷めやらず、1を借りて見た。
2を先に見てしまったからか、
完全に答え合わせみたいになってしまい。

それでもバーフバリのヒロイズムは変わらない。


最も面白いのはクライマックス、
二人の王子の継承権を撃退法のちがいで示す部分である。

これが徹底的に対比されているのが痛快だ。
物量の矢vs知恵の布アンド火、
人質ごと轢き殺すグルグル刃の馬車vs人質の足を絡めて無傷にする、
獅子の噛みつきで無傷でとらえるvs飛び道具で遠くから殺す。

この順で時系列になっているのがうまい。

義理の兄の汚さとバーフバリの素晴らしさの対比に、
僕も民の一人となって、バーフバリ!と叫びたくなってしまう。

これが原始的な快楽である。


徹底的な対比はわかりやすさを生み、
感情移入を生む。
憎むべき悪と、味方したい正義を生む。
古代史ものとしても、
なかなかの見応えであった。

ああ、これまた2見たくなってくるわ。
絶叫上映会いきてえ。
みんなでバーフバリ!って叫べるんだぜ?

楽曲の方も2のほうが良かったと思う。


しかし話は単純な行ってこいの大枠だったなあ。
でも滝登りやら妃を救う仮面の集団やら、
タトゥーやら、
カッタッパやらの、
変化球を上手に使っているのが、
巧みな構成であった。

原始的快楽。
これが映画の醍醐味の一つだ。
しかしインド人よく飛ぶなあ。
posted by おおおかとしひこ at 02:48| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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