2018年03月22日

命名のタイミング

さて、バーフバリ1の批評が途中で入ってしまったが、
基本的には、構想に入ってから、
ストーリーが形をなしていく工程を追っているつもりである。

次にすることは、命名である。



これまでのあらすじを見てみると、

1 構成をつくる、それがテーマを暗示する構造になっているかを考える
2 カード法によって取捨選択を考える
3 その長さを見積もる
4 サブプロットを考え始める

のようである。

これらは順には書いたものの、
このとおりきれいに進行することはめったになく、
前後しながら進んでゆくものである。
行ったり来たりしながら、なんとなくできてゆく。

とりあえず発展させてみたり、
使えないならいったん脇に置いといたり、
あれ、置いといたやつ使えるぞ、となったら、
復活させたり。

いろいろな方向から、ひとつのストーリーを、
眺めたり考えることになるだろう。
(この段階で、なるべく多くの立場から眺めることが、
ストーリーに客観性をもたらすことだろう)


ここまで、僕は、
キャラクターに名前を付けずに作ることにしている。
「主人公」とか「男」とか、「女」とか、
「刑事」とか「母」とか。
なんなら、☆とか〇とか◇とかの記号で書くこともあるくらい。

それは、「その人個人によらないストーリー」を、
大枠としては構成するためである。


あまりに個人によりすぎる話は、
誰にも共感されることはない。
感情移入とは、
「そういうシチュエーションに陥ったら、
誰もがそう思うし、誰もがそういう行動をとってしまうに違いない」
と思うことから発する。

そう思うから、その人物と観客は同じ冒険をしている、
という感覚になり、
あの人物はまるでもう一人の私である、
となるまで人物と一体化する。
その原動力は、以前にも議論したが、
共感ではない。

「誰もがそうなったらそう思うし、そう行動するだろう」
という、「人間共通」のものに基づくものである。

だからこの時点で、登場人物に名前はないのだ。

大きなストーリー構造で、
シチュエーションや出来事を決めてゆき、
その人物の大きな目的があれば、
「どのような人格や性格でも」
似たようなことを考え、するだろう、
というものを作るためである。

「男」「女」「中年の男」「学生」
「刑事」「父」などの、
一般名詞を使ってストーリーの構成を組むのが、
そのコツであるかもしれない。
こうすれば、
ストーリーの骨は、誰がそのシチュエーションに陥っても、同じ行動をするだろう、
という話になっているはずだ。

で、
大体の骨格ができてきて、
サブプロットなどの周辺を考える段階において、
そろそろ固有名詞が必要になってくる。

大体のプロットがある段階を過ぎて、
「その人の話」になる段階である。

それに最低限必要なのが、
「名前」だ。



姓名。
年齢。
ニックネーム。職業。所属している組織の名。
住んでるところ。趣味。特殊能力。
哲学。変わったところと普通のところ。
過去。トラウマ。将来の夢。

そういったことのディテールを詰めてゆくことは、
「その人が実在だと思い込む」ことに寄与する。
まるでその人がそこにいるように想像できるようになるまで、
それは詰めていってもよい。
本編には一度も使わないが、
今までの部活や、今まででのゲームのもちキャラなどを、全部決めても構わない。
あなたがその実在を信じられるようになれれば、なんでもいい。
よく好きな食べ物を決めたりするのは、そういう理由だ。
星占いに通じていれば、矛盾なき典型的性格のひな型を、
〇〇座と設定するだけで使えるだろう。


先にキャラクターを作ってしまうと、
車だけがあり、目的地もコースも決まっていない、
ただのガレージであると書いたが、
これは、
先に目的地やコースをつくり、
「それをどういう車で行くと、面白くなるか」
を考えていることになる。

車を先に作ってしまうと、いつまでたってもコースは作りにくい。
コースが先にあると、どういった車でそのコースを走るべきか、
考えやすいのだ。


もちろん、先に車を作り、
最後までうまく走らせることができる人はこの限りではない。
しかし経験上、そのケースはレアだ。

二次創作では先にキャラクターがあることが多いが、
それは一次がもつ、
「そのキャラクターなりの解決の仕方」の、
「ストーリーに関すること」を借りてきているから、
書けることが多い。
しかし二次創作ではないから、
そのキャラクターに関することは、
一から作っていかないといけない。
たいてい、
「そのキャラクターなりの解決の仕方」
というストーリーに関わる根本的なところまで作れることはまれである。
おそらく息切れするのであろう。
キャラクターを先に作る方法では、途中までは作れる。
キャラクターが引っ張ってくれるからだ。
しかし落ちができないことが多い。
結局なんだったのか、
に答えるのは、
キャラクター自身ではなく、
ストーリー自身であるからだと僕は考えている。


という事で、
ストーリーの全貌やテーマへの落ちどころが決まってから、
ようやくキャラクターメイキングに入ることになる。
その第一歩が、命名というわけだ。

これには時間がかかることがある。
RPGの主人公の名前を考えるだけで一日が過ぎることは、
経験したことはあるだろう。
その名前が体を現すようにしたい。

カッコいいとか美しいとか祝福されているとか、
普通でしかないとか、コンプレックスの塊であるとか、
悪そうとか、頭がよさそうとか、
繊細そうとか、馬鹿そうとか、
うっかりしてそうとか、しっかりしてそうとか、
堅そうとか柔らかそうとか、
前に出るタイプそうとか、後方にいそうとか、
実力者風であるとか、はったりであるとか、
色々な、
その物語の役割にピッタリな(あるいは期待と逆の)名前を、
考えたくなるだろうからだ。

ここで何日も何週間もかかることすらある。
いい名前はストーリーを引っ張ることになる。
スターウォーズの悪役が、
「ダース・ベイダー」でなく、
「田中ひろふみ」であったら、
台無しだろう。
ロッキーの主人公が、
岩のように意思の固いRockの名前でなく、
スポンジという名前だったら、
あのような話にならないはずだ。

名前はつまり、
作者の意思がこもった、願いのようなものだ。

そのキャラクターに、どういう思いを込めるのか、
名前にそれは出る。

あんまりどうでもいいキャラクターには、
僕は、田中とか鈴木とか中西とか山本とか、
普通の名前をつけることが多い。
そこに神宮寺とか出てきたら、
それは特別な人物である、ということが意味できるはずだ。

先にキャラクターを命名してしまうと、
ストーリーがそのキャラクターありきになってしまい、
感情移入のポイントを失いがちになる。
一種のコツかもしれないので、
参考にされたい。


命名がうまいこといけば、
あとは過去をつくったり、
性格をつくったり、
勝手にしゃべり始めたりするだろう。
セリフを適当に書いてみることで、
そのキャラクターをつかめることもある。

そうすると、
カードや構成も若干変わってくるし、
サブプロットも変わってくる。
それでいいと思う。
「その人の話」が肉付いていく瞬間である。


こうして、
「最終的にはある特殊な人の話を描いているのだが、
そこには人間共通の話があり、誰もが理解して感情移入してしまう」
という、二重性が出来上がる。

一般的すぎて面白くない、
特殊過ぎて面白くない、
という、ふたつのダメな可能性をつぶすことができるわけだ。
posted by おおおかとしひこ at 10:45| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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