そう考えるとわかりやすいかも知れない。
考え方の成長を考えよう。
今までAとしか考えられなかったのだが、
Bという考え方やCという考え方があることを知り、
多角的に物事を捉えられるようになるのは成長だ。
あるいは、Aと考えてしまうことの中には、
A1やA2といった、分割できる要素があり、
その組み合わせや相互作用で物事を捉えられるようになる、
というのも成長だ。
あるいはA止まりでなく、Aの続きがある、
と時間方向に拡大するのも考え方の成長だ。
ざっくりいうと、考え方が、広く、深くなるわけだ。
考え方が変わると、
思考や行動にも変化が現れる。
同じものを見ても違った反応、
行動を見せるようになる。
(ブックエンドテクニックでよく使われるパターン)
逆に我々観客は、
反応や行動の変化で、
内部の考え方の変化を感じとるわけだ。
頭だけが成長するわけではない。
身体も成長する。
単純に筋肉が増えることもあるだろうし、
スキルが増えることもある。
フォームを新しく覚えて、
以前では出来なかった技能をマスターすることもある。
(最近僕はタイピングにおいてこれをやってるわけだ)
これまでのジャンルを離れて、
新しいジャンルを開拓することもあるだろう。
これを一言で言うと、
技能が伸びるということより、
「精度が上がる」と考えた方がいいかもな、
と僕は思ったのだ。
もっと大きな枠組みで言うと、
「人生の精度が上がる」というか。
見た目で大きく変わるわけではない。
でも成長すると、
これまでと違った精度で、
人生を捉えられるようになるよね。
それを成長と言い換えているのではないかなあ。
精度が下がることもある。
ごにゃごにゃ考えてたのを粉砕し、
大枠で物事を捉えることで成長することもある。
しかしそれは、精度を上げたり下げたりして、
コントロールするということを覚えるという、
人生の精度があがったことに、
なるんじゃないかな。
科学の発展、哲学の発展とは、
つまりは世界や人生や社会を、
どれくらいの精度で捉えられるのか、
ということじゃあないのかなあ。
その自在さ、確からしさも精度と考えれば、
良いのではないだろうか。
ストーリーテリングの面白さは、
作者自身も成長することである。
精度があがっていく実感があるよね。
2018年03月30日
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