ブラインドタッチの初歩、一応大体のキーを覚えた段階のあとに、
試してみるとよい方法。
「目をつぶって打ってみる」である。
つまり「ほんとのブラインドタッチ」をしてみるのだ。
たとえばワンフレーズや一文。
たとえば俳句程度。
たとえば歌の一番。
たとえば歌の全部。
習熟度に合わせて長さは変えるとして、
画面もキーボードも見ないで、
一切視覚を使わずに、
「触覚だけでことばを綴る経験」をするのが、
ブラインドタッチのマスターには不可欠の段階であると、
僕は考えている。
部屋の電気を消してもいい。
アイマスクでもいい。
視覚を遮断するのがいかに不安であるか、
まず知ろう。
次にあなたは、手の感覚が鋭敏になっていることに気づくはずだ。
ホームキーのポッチがどれだけ灯台の役目をするか、
あなたは理解する。
キーのエッジがどこにあり、
エッジとエッジの間まで触覚で分かってくるはずだ。
スペースキーはここで、
エンターキーはここで、と、
文字キー以外のキーまで、
なんとなくの位置関係はわかるはずだ。
頭の中に写真記憶で配列図が入っている人もいるだろうが、
ブラインドタッチは写真記憶ではない。
指が覚える運動感覚である。
だから、実際に触覚だけで運動するのだ。
練習用の一文や、
好きな一節を入力しよう。
目を開ければ一発で答えあわせだ。
目を開けて、もう一度同じものを打ってみよう。
なにをどう間違えたのか、
指の運動の誤り訂正として理解しよう。
本来こう打つべきところを、
こう間違えたのだ、
だからこうやって正解するべきだ、
と理解しよう。
わかったら、
目をつぶってもう一度打つ。
正解かどうかは、
目を開けてチェックする前にわかるべきだ。
それがブラインドタッチだ。
指でミスタイプか正解か判断できるようにならないと、
文章なんて書いてられないぞ。
頭は文の内容を、手は文字を書くことに、
分離するべきである。
だから、
そもそも目つぶってミスするような手に、
ブラインドタッチなんて任せられない。
逆にいうとブラインドタッチとは、
本当に見なくてもタイピングできることなんだよ。
(僕はこの意味を強調するために、
あえてブラインドのことばを使っています)
たとえばタイプウェルでタイムアタックするときに、
指で正解が分からないと、
指が喋る速度でなんて打てない。
目は画面しか見てないからね。
最悪、画面を見ずにキーボードだけで文章が打てるはずだ。
漢字変換はおいといて、ひらがなだけだとして。
(そういえばガラケー時代、
冬の寒いときにポケットの中でブラインドタッチで、
メール書いたなあ)
手書きでメモを取るときだって、
アイデアが蒸発する前に書くから、
目は手や字を見てないことのほうが多い。
目はどこを見ているかというと、
そこに実在しない、アイデアそのものを見ていて、
実在の風景を見ていない。
文章を書くということは、
つまりは白昼夢を見続けることである。
だから手なんて見ない。
白昼夢に意識は集中したい。
だから手は、手探りだけで文章を書くのだ。
ブラインドタッチとはその為のメソッドだ。
これを段階的にシミュレーションするのに、
目をつぶるわけである。
0円で始められるよ。
苦手運指や苦手指があるときは、
目をつぶって感覚だけでやってみよう。
覚えてない文字があるなら、
目をつぶって体感覚だけで覚えていこう。
配列を見ないで打つということは、
体感覚で打つということだ。
体感覚で打つということは、
たとえば習得初期は、
座る姿勢を変えたら思い出せなくなる、
という現象に遭うこともあるくらいだ。
たとえば組んでる足を逆にすると、
急に思い出せなくなったりするよ。
あるいはキーボードをちょっと斜めにしただけで、
てきめんに打てなくなったり。
そういう変動にも対応できるようになるのは、
だいぶ慣れたあとのことが多い。
ブラインドタッチは運動だ、
って分かってる人は言うんだけど、
分かってない人には分からない感覚だ。
目をつぶれば、
それが体感覚頼りの運動だと、
体感できるはずだ。
2018年04月01日
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