リアルで考えると、よく考えるとおかしい、
でも「この世界では」合ってる。
それが世界観というものだ。
あるいは〇〇ワールドとも言われる。
人間の認識というものは、所詮限界がある。
ワープのできる世界の癖に、
質量保存則を破壊した商品がないとか、
他の4次元移動システムがないとか、
よく考えるとあり得ない。
しかしその世界ではありだと思えるくらい、
物語に夢中にさせてくれれば問題ない。
フィクションとは、そういうものである。
極端なものでは、車田正美の漫画がある。
その系譜には、梶原一騎、本宮ひろ志がいると思う。
そのリアル路線では武論尊がいるが、
リアルとはいえ、やっぱりどこかおかしいと思う。
バーフバリに熱狂が起こるのは、そこに確固たる世界があるからだ。
そのどこかおかしい所には、
一種の狂気があると思う。
その狂気とは、
「思い込みによる熱狂」と関係している気がする。
恋とかハマりとか、夢中とかいうやつだ。
よく考えたらおかしなことは、
下手に触れないほうがいい。
巻き込むべき熱狂を考えるといい。
しかし冷静に、
「リアルではこうだから、
自分はここのところに嘘をついている」
ということはわかっているとよい。
嘘ばかりついていると、ほんとうが見えなくなる。
嘘のうまい人は、嘘と本当を知ったうえで、
嘘の世界にどっぷりと巻き込んでいける人のことである。
ここからここまではリアル、
ここから先は嘘、
その線引きを巧みにしておこう。
それを決めたら、
その線は変えないことだ。
作品を俯瞰してみたとき、
その線がぶれていることに気付くときがある。
執筆のときに調子が違ったのだろうね。
そのままにしていてはいけない。
プロット段階で気づけると、事故を防ぎやすいよね。
おかしいんだけど、その世界では合ってる。
そういう世界を、フィクションという。
その世界に巻き込むように作っていこう。
そういう意味では、
私たちの仕事は、遊園地の設計と似ている。
2018年04月04日
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