「プロットを書きなさい」と言われても、
なかなかにそれを正しく捉えることは難しい。
あらすじ、計画、骨。
ややこしくなったら、「顛末」と考えるとどうだろう。
物語は、感情とともに記憶される。
あの話は良かった、
あの話はグッときた、
あの話は泣いた、
あの話は笑った、
あの話は退屈でつまらなかった、
などなどだ。
だから、物語を書こうとする時、
「感情」をベースに書こうとするのは当然だ。
燃える、キュンとくる、盛り上がる、
ワクワクする、せつない、ゾクゾクする、
怖い、先が読めずに悶々とする、
なるほどと膝を打つ、
などなどである。
それ自体はとてもいいことで、
私たちの苦労の結晶は、
そうやって感情とともに共有され、記憶に残る。
しかしここからが重要で、
感情とは点であり線でないことに、
注意されたい。
点と線は、僕がよく使う用語だが、
点とは時間軸がないもので、
線とは時間軸があるもののことを言う。
感情には時間軸がない。
「うれしい」から「悲しい」に至る時間軸の感情を示す言葉は、
存在しない。
感情の変化はある。私たちは常にそれに晒されている。
しかし「感情と名前のついたもの」は、
変化するものではなく点である。
時間でピン留めをしたものだ。
逆に、私たちは感情が常に変化するから、
変化しないもので、
「A→B→C…」のように記述しないと、
変化を記録できないのだろう。
ABCはそれぞれ具体的な感情である。
しかし「夜明け」や、「立ち上がる」のように、
変化を示す言葉が人間にないわけではない。
これらは「動詞」を使って記述されることに注意されたい。
変化とは動きだから、動詞を使うんだね。
感情は動詞ではない。名詞や形容詞だ。
つまり時間が停止している。
感情を動詞で記述すると違和感がある。
「うれしがる」「かなしがる」などだ。
あんまり使わないね。ボキャブラリーも貧弱だ。
つまり、人にとって感情とは、
点なのだ。
一方、ストーリーとは線のことである。
人は、線を点の集団として認識する。
仮説だが、記憶の圧縮と関係していると考えられる。
「旅行は楽しかった」と、
行ってから帰ってくるまでを、圧縮するんだね。
「ああいうことがあってこういうことがあった」
などと、直後は点を線にひらくことができるけど、
時間とともにそれは忘却していく。
たとえば、「小学校の頃は良かったなあ」などのように。
(失われるという仮説と、何かをきっかけに線で思い出せることがあることから、
引き出しにくくなっているだけだという仮説がある)
で、本題。
プロットを書こうとして、
感情を書こうとして、書けなくなることがとても多い。
なんでだろう。
「なんでこういう感情になるんだっけ?」が、
不足しているからだと思う。
これを避けるためには、
「その顛末を書こう」と思うと良い。
こうこうこういうことがあって、
ああいうことになり、
こうしたことで、
「○○○」という感情になった。
という風に書いてみよう。
ちなみにこれは、小学生の作文である。
「遠足」というタイトルで、
電車に乗りました。
○○山に行って登りました。
景色が良くて、○○君が叫びました。
僕も叫びました。
お弁当は美味しかったです。
それで、遠足は楽しかったです。
と、書くようなものである。
さて、私たち大人は、
最後の「○○○」という感情を省略する。
「遠足」
電車に乗り込むところから既に非日常だ。
私たちはどこへ連れて行かれるのか、
不安とともに期待が交錯する。
山だ。私たちは山に登るのだ。
苦労した甲斐があり、頂の景色は抜群だった。
仲良しの○○君が叫ぶ。その気持ちは僕にもわかる。
僕も叫んだ。もはや人ではない、獣のように。
あ、母の弁当はご飯に汁が染みてて美味しかったです。
この作文において、
「楽しかった」という感情は使われていない。
しかし伝わるのは、「堪能した」という感情だろう。
つまりは、「楽しかった」わけだ。
これが、プロットの書き方なのだ。
「楽しい」ということを一言も使わずに、
「楽しい」を表現するのである。
それはどうやってかというと、
「顛末」を書くことでだ。
どういうことがあり、どうしたのか、
何が起こって何をしてどうなったのか。
その顛末を並べて追体験したとき、
「○○○」という点なる感情が湧くようにしていくことこそ、
プロットの本質なのである。
さあ。
あなたは今までそのようにプロットを書いていただろうか?
あらすじ?
大体の流れ?
骨格?
因果関係?
イベントの順番?
動機や目的や行動?
それもプロットの構成要素だ。
しかし一番大事なことは、
線によって最終の点、○○○が見えるかどうか、
なのである。
面白いプロットと、つまらないプロットの差はなにか?
それは、その顛末を追体験することで、
○○○になるかどうかなのだ。
自然にそうなれば良くできたプロットだ。
全く何も湧いてこないなら、つまらないプロットだ。
さらに高みの話を。
私たちの知っている言葉で○○○が埋まるべきだろうか?
それに的確な言葉が日本語にはないが、
おおむね○○○や×××に近い感情だけど、
この顛末でしか表現できないなにか。
そうなるのが理想。
でも最初は、
「楽しい」とか「感動」とかにしておくと、
遠足の顛末のように書きやすいはずで、
そもそも狙った○○○に落とさないやつが、
的確な文章なんて書けるわけがない。
さあ、あなたのプロットは、どういう○○○になるの?
その顛末を書きなさい。
2018年04月06日
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