大ファンの一人が亡くなったそうだ。
僕はじゃりン子チエで産湯をつかったようなものだ。
風魔の前後に、「じゃりン子チエの実写化」って企画を、
当時のGEのプロデューサーと練っていたことがある。
僕が大阪のニュアンスがわかることもあるし、
当時クレラップの監督であったから、
小さな女の子でいたずらっぽい感じができる、
と思われていたためだ。
実現していれば、なにか話せたかもしれない。
僕が高畑監督を意識したのは、
「となりの山田くん」の大失敗においてだ。
なぜ、どうしてあんな失敗をしたのか、
俺だったらどうしたか、どうやったら成功に導くような脚本になったか、
今でも時々考える。
それについて彼がどう思っていたかも聞きたかった。
監督はときに押し付け仕事のケツもちをやらされることがある。
失敗確実の仕事を、どうにか形にするような、どぶさらいのような仕事をだ。
山田くんがそうだったのか、
それともほんとに名作と思って世に出したのか、
そのへんの本音を、天国で聞いてみたい。
歳をとったせいか、
尊敬している先輩たちがいなくなってゆく。
せつない。
そういう先輩に、いつか褒められたいなあと思っていた。
今は、嫉妬されなければ、と考えている。
2018年04月06日
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