今回の大枠は、
「オリンピックを見た人々のドラマ」ということである。
(オリンピックで起きたことはいろいろあり、
どのネタを使うか、どういう人々にどう使うかで、
バリエーションがあり得る)
そしてこの大枠を作ったのは、
広告代理店だ。
その大枠はまああり得るとして、
問題はその企画コンテである。
「泣ける話をつくりたい」といわれて渡されたものが、
あまりにも出来が悪くて、
僕は気分が悪くなった。
それは、初心者脚本家にとっての最大の敵、
メアリースーという癌に侵されていたものだったからである。
僕という医者に託された役割は、
この癌を取り除き、
息を吹き返らせるばかりか、
名作に仕立て上げなければならないということだ。
さて。その患者を診てみよう。
本来公開しないものだが、
僕は昨今のプロのレベルが落ちていることに、
憤りと残念さを感じていて、
だから日本の脚本のレベルを上げたくて、
ここを書いている。
脚本とはなにか、勉強しようとしている人がここを読んでいるはずだから、
その益があると思い、公開する。
公共放送という性格上、
情報公開は著作権の問題ではない、と判断した。
以下がその脚本(企画)である。
NHK企画法華津.pdf
NHK企画レズビアン.pdf
あれ?
じいさんの話でいうと、
ウィスパー号の話もないし、
孫が出てこないし、
スクラップブックを見てしまうのもないし、
杖の話もなんにもない。
レズの話でいえば、
前髪の話もないし、
その解決であるヘアバンドの話もないし、
「うそつき」もないし、
しかもプロポーズされる側の話になっている都合の良さだ。
つまりこれらの「ドラマチックな要素」は、
全部僕が足したものである。
もとはただ、
「入院先のばあさんに解説されて、頑張ろうとする」話と、
「別れたが、向こうから(都合よく)やり直しに来た」話でしかない。
再掲するが、
僕の手術後の脚本がこれである。
比較されたい。
人馬一体.pdf
公開ヘアバンド.pdf
つまり、
シチュエーションとオリンピックのネタだけを再利用して、
新しい骨格を作ったというわけだ。
術式としては、皮膚だけ残して骨格再造という感じか。
双方の骨格構造を示そう。
もと1
状況設定
説明される
頑張ろうと思う
あと1
状況設定、嫌なじじい
その実は、というのが明らかに
杖にそのネタで落書きされ、
頑張る決意があらたになる
もと2
状況設定
オリンピックを見る
仲直りが向こうからやってくる
あと2
状況設定、自信がない子
嘘をついてしまう
オリンピックを見る
前髪をあげ、嘘を償うように公開プロポーズする
僕が手術したあとのものには、
主人公が「行動」していることがわかるだろう。
そしてその行動には動機があることがわかるだろう。
動機があり、行動があり、
その結果、どう波紋を起こし、
どう動機を変え、どう結末を迎えるのか。
それが時系列をもつ物語というものだ。
ヘアバンドのほうはわかりやすいが、
じいさんは行動しているか。
行動(必死のリハビリ)しているが、それは誤解されていた。
その誤解が解けて関係性は前に進んだ、
という「時系列をシャッフルしている構造」になっている。
あとから周囲がついてくるようになっているわけだ。
じいさんが行動していなかったら、このドラマは存在しなかったから、
じいさんの行動こそが波紋の中心にいる。
いずれにせよ、
動機と行動がある。
そしてその動機や行動のきっかけが、
「オリンピック」になっているからこそ、
オリンピックの広告として機能しているわけだ。
はたして元はそうなっていたか。
否である。
なぜか。メアリースーに侵されているからだ。
次回はこの癌について、
詳しく解説していく。
今回のは、常々、大岡さんが仰ってることが、とてもよく分かりました。
メアリースーとは何か、それをどう手術すると病気が治るのか。見事に分かりました。
状況設定は同じなのに、全く違う物語になっている。主人公苦悩し、それでも前を向いて行動し、その結果、輝いている。これが脚本の力なんですね。感動しました。
>その結果、輝いている。
なかなかいい言葉ですね。
自分が可愛くて甘いやつは、輝かないですからね。
具体があると、げんなりなのが分かるかと思います。
ここのところはプロの脚本家になるかならないかの、
分水嶺のような気がしています。