2018年04月22日

プロの現場から6: 広告が馬鹿でもできるわけ

最近の広告は、僕が憧れた広告からすると、
かなりレベルが下がっている。
僕は広告業界に入ったことに誇りを感じていたが、
最近はそう言うのが恥ずかしい。
同じレベルと思われるのは心外だ。

かつては文化レベルの広告が多かった。
サントリーオールドの、
「恋は遠い日の花火ではない」は好きだった。
いまはそうでないものばかりだ。


メアリースーの原因は、昨今の(レベルの低い)広告のせいではないか、
という仮説をぶち上げることにする。

簡単なことだ。
広告は、「メアリースーを助長するように作る」
からである。

つまり、
「あなたは苦労しなくていいのです。
こういう困ったことがあるでしょ?
あなたは苦労する必要はありません。
私たちがあなたを神様のように愛していますから、
そんな苦労させるわけないですよ。
最後にちょっとだけ行動するだけでいいんですよ。
電話をかけるとか、ネットに登録するだけとか、
お金をちょろっと払うだけでいいんです」
というのが、
ほとんどの広告の正体であるからだ。

広告というのは、
人々の甘えにつけこんでいるのである。


もし広告が、
「ブラインドタッチを習得したい?
たしかにそれはとても便利で合理的だ。
そうだ薙刀式をしたまえ。
まず3時間は集中せよ。あとは一か月やれ」
というものであったら、
そんなメンドクサイものはしないよ、
というだろう。

ほかにみんなこのように真実を語っていたとしても、
「1時間で親指シフトをマスターする方法!」
なんて楽なものが現れたら、
みんなそっちへ行ってしまう。

「楽をしたいわたし」だからである。

誰も、苦しい筋トレはやらない。
よほど意識の高い人しかやらない。
しかしそれがほんとうに大事なら、
辛いことは筋肉をつけることと同じである。
(ライザップだけが逆張りで目立っているわけだ。
だからといって誰もがやるわけではない)


ここを読んでいる人は脚本を書きたい人であろうが、
僕はつねに「数をかけ」というスパルタを提唱している。
しかし、
「一日15分で、一週間で出来るようになる方法を、1万円で教えます!」
というのがあったら、みんなそっちへ行くに違いない。


学問に王道なしであるのはわかっているのに、
ついつい「安易に金で努力は買える」と思わせるのが、
たくみな広告というものだ。

つまり、「あなたは苦労しなくていいですよ」
というメッセージを出し続けるのが広告なのである。



これは三人称のストーリーと、
真逆である。

だからメアリースーが蔓延するのである。


答えは簡単だ。
「世の中にそんなにうまい話があるわけがない。
努力して改善する以外に王道はない」
ということでしかない。

逆に広告で売る商品とは、
「チートアイテム」「ショートカットアイテム」
を売ろうとしているのである。


チートやショートカットなどなく、
努力や行動でしか人生は変えられないと、
僕は思う。
ライフハックなんてない。
多少のことはあるかもしれないが、
ほんとうにはないと思う。



ここから女差別をする。

女は、「男に人生を変えてもらいたい」と思っている。
自分から変わる苦労をするのではなく、
変えてもらいたいと、他人にあずける。
なぜなら自分が愛されているからである。

これは、広告がつけこむメアリースー構造そのものだ。
男は裏切るが、商品は裏切らない、
という文法をつかえばいいのである。

まあ女だけでなく、最近のだめな男もそうだから、
女の特性とはいえない。
しかし女のほうがそういう人が多いのはたしかだ。
(僕はよく女差別をするが、バカな女が嫌いなだけで、
賢い女は大好きだ。女の嫌なところが嫌い、
とでも言っておこう)



で。
元の企画に戻ると、
このメアリースーはバカな女なのだ。

つまり、
「ただ理由もなく愛されて、
なぜかおぜん立てされて、
都合よく主役になりたくて、
やることが簡単なことで、
大勝利したい」という願望そのものなのである。

リハビリしたくない、
なぜか話しかけてくる、
別れたのになぜかよりを向こうから戻してくる、
そういう甘えた願望なのだ。

広告は、そういう甘えを容認し、
助長する。

金さえ出せば、その甘えを実現するよ、
というメッセージとともに。

これは悪魔の所業である。
自覚しようとするまいと。



僕は、すべての広告がそうであるとは思っていない。

そういう甘えを許すもの以外も、
広告になると考えている。
それが文化たる広告のレベルであると考えている。

そもそもこの企画を立てた人間が、
広告のこうしたメアリースー的な部分に無自覚で、
しかも自分のメアリースーにも気づいていないのが、
おかしいと僕は思うわけだ。


しかしそのおかしさを言うのに、
大体一万字以上かかるので、
僕は現場で自分の意見を曲げない、
こわい監督でいるしかない。

飲みにでも行けば説教出来るけど、
間に立つプロデューサーは説教なんてとんでもない、
仕事を失うことになる、
と僕を同席させないわけだ。
この構造自体が甘えを保存することになっている。



さて。

だから、こういうメアリースー型の広告なんて、
馬鹿でもできる。

うまいことメアリースーを引き出してやればいい。

苦労しなくていいですよ。
憧れのタレントも使ってます。
あなたは愛されています。
仲間に入ろうよ。いますぐ。

こういうことだけ一生やっていればいい。
俺はやらない。


広告はバカな女をだましている。
マーケティングによって、映画は女の見るものとされ、
広告的な手法でメアリースーを増やした。
女を差別するわけではない。
僕は賢い女は大好きだ。
馬鹿な女を増やし、そこに甘んじさせるものが嫌いだ。

映画はどうだろう。
メアリースー的なマーケティングをして、
ぐずぐずになっていっているように思う。
さっさと、目を覚ませばいいのに。




さて。
人間ドラマに戻ろう。

ドラマの総括部分、変化についてだ。
posted by おおおかとしひこ at 12:20| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大岡さん、こんにちは。いつもブログを拝読しています。

歌も小説も映画も漫画もあらゆるエンターテインメントが、メアリースーになっているように思います。
「そのままでいい」「今のままであなたは素晴らしい」
しかも、たちの悪いことに、そういう作品に限って、ミリオンセラーになったりします。正直、バカバカしくて泣けてきます(苦笑)。

広告の悪もあるのでしょうが、受けての視聴者や読者に、メアリースーが蔓延しているように思います。だから、広告はメアリースーの広告を作っているのではと。

卵が先か鶏が先かと同じなのですが、大岡さんは、どちらが先だと思われますか。広告が消費者を駄目にしたのか、それとも消費者が広告を駄目にしたのか。
また、なぜメアリースーが蔓延する時代になったと思われますか。

本物の作品に出会う機会がめっきり減って、とても残念です。
Posted by 虎次郎 at 2018年05月08日 22:03
虎次郎さんコメントありがとうございます。

とても難しい質問ですね。
本物の男が消えちまったことと、関係あるかも知れません。
いつからか、作品は理想を語るというよりは、
受け手をあやすことを始めた気がします。

これまた誤解を呼びそうですが、
男が弱くなり、女が社会進出してからでしょう。
男は序列で語りますが、女は共感で語ります。
作品を買う人が女ばかりになったことと関係している、
と偏見込みで極論してみます。
少年ジャンプはいつからか少女ジャンプになったよな、
と揶揄されたあたりが境目でしょうか。

逆から見ると、
男を騙して金を取るより、
女を騙して金を取った方が、ぼろいということですよね。
女たちよ、お前ら舐められとるのだぞ。
Posted by おおおかとしひこ at 2018年05月08日 23:02
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