ドラマとは変化である、とよく言われる。
そうなっているか検証してみよう。
じいさんは変化したか。
ウィスパー号と落書きされたことを見て、
自分の動機が知られてしまった自覚はあるはずだ。
今後、孫や看護婦との付き合い方は変わるだろう。
かたくなにリハビリを繰り返す、
頑固じいさんの理由は公のものになり、
周囲の理解は進むはずである。
じいさんの石の一念が、理解され日の目を見たのだ。
今後、ここまでかたくなであることはなさそうだ。
もっと冗談を言ったり、
隠さないで自分のことをもっと言うようになるかもしれない。
彼はもう孤独ではないのだから。
レズビアンはどうだろう。
今後、自分を隠して生きることはしないだろう。
周囲から色眼鏡で見られることは今後もあるかもしれないが、
今夜のプロポーズの記憶が、
彼女たちを勇気づけるはずである。
変化とは、
このストーリーを経験しなければ起きなかったことである。
なにかをしたからこの変化が訪れたのだ。
これはよい変化である。
人生がよくなる変化である。
リスクはあった。
しかしそのリスクをおさえ、
ハッピーになるようにもっていけた。
だから、よい方向に変化したのだ。
これがハッピーエンドである。
動機を持ち、行動し、その結果、
勝ちを勝ち取ったのである。
だから、変化する。
自分に誇りや自信をもつ。
余裕が出来、相手を思いやることができるようになるだろう。
それを成長と呼ぶ人もいるだろう。
さて。死体蹴りをすることになるが、
元の企画にそういうものはあったか。
いや、ない。
言われてちょっとリハビリを頑張ってみた、
程度の影響をうけるレベルでしかない。
変化とは、永遠の変化のことをいう。
じいさんがこの件がなければ、
なかったはずの永遠の変化をしてしまうのが、
物語である。
入院している他人から、
ちょっと言われるだけで、永遠の変化をするだろうか。
否だ。
そんなやついたらよっぽどおめでたいやつだ。
広告のいうことを全部真に受ける馬鹿だろう。
レズビアンの女子なんて、
なんにもしてないのび太でしかない。
ただ他人に幸せにしてもらっただけで、
自分自身はなにも変化していない。
永遠の変化どころか、
明日には元に戻っているだけだ。
ストーリーというのは、
永遠の変化を描く。
これが始まる前に、戻ってしまうことはない。
それではそのストーリーの意味がないからである。
その経験をしたことで、
一生もうもとに戻ることがないことになるのが、
ストーリーである。
その変化が、テーマだ。
よい広告は、
そのテーマを美しく短い文に託すことが多い。
キャッチコピーという文化である。
そしてそれは、
主人公の変化から察せられるテーマであると同時に、
訴えたい商品がもつテーマにもなっていることが、
このストーリーが広告である意味だ。
この場合、
いうまでもなく、オリンピックのことである。
勇気を出すこと。
意思をつらぬくこと。
これこそが、東京オリンピック2020の意味で、意義である。
そういう広告であるわけだ。
さて。次回で最終回。
没の脚本をアップする。
2018年04月23日
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