2018年04月23日

プロの現場から7: ドラマとは変化である

ドラマとは変化である、とよく言われる。
そうなっているか検証してみよう。


じいさんは変化したか。

ウィスパー号と落書きされたことを見て、
自分の動機が知られてしまった自覚はあるはずだ。
今後、孫や看護婦との付き合い方は変わるだろう。
かたくなにリハビリを繰り返す、
頑固じいさんの理由は公のものになり、
周囲の理解は進むはずである。
じいさんの石の一念が、理解され日の目を見たのだ。

今後、ここまでかたくなであることはなさそうだ。
もっと冗談を言ったり、
隠さないで自分のことをもっと言うようになるかもしれない。
彼はもう孤独ではないのだから。

レズビアンはどうだろう。

今後、自分を隠して生きることはしないだろう。
周囲から色眼鏡で見られることは今後もあるかもしれないが、
今夜のプロポーズの記憶が、
彼女たちを勇気づけるはずである。

変化とは、
このストーリーを経験しなければ起きなかったことである。

なにかをしたからこの変化が訪れたのだ。
これはよい変化である。
人生がよくなる変化である。
リスクはあった。
しかしそのリスクをおさえ、
ハッピーになるようにもっていけた。
だから、よい方向に変化したのだ。
これがハッピーエンドである。
動機を持ち、行動し、その結果、
勝ちを勝ち取ったのである。

だから、変化する。
自分に誇りや自信をもつ。
余裕が出来、相手を思いやることができるようになるだろう。
それを成長と呼ぶ人もいるだろう。

さて。死体蹴りをすることになるが、
元の企画にそういうものはあったか。
いや、ない。
言われてちょっとリハビリを頑張ってみた、
程度の影響をうけるレベルでしかない。

変化とは、永遠の変化のことをいう。
じいさんがこの件がなければ、
なかったはずの永遠の変化をしてしまうのが、
物語である。

入院している他人から、
ちょっと言われるだけで、永遠の変化をするだろうか。
否だ。
そんなやついたらよっぽどおめでたいやつだ。
広告のいうことを全部真に受ける馬鹿だろう。

レズビアンの女子なんて、
なんにもしてないのび太でしかない。
ただ他人に幸せにしてもらっただけで、
自分自身はなにも変化していない。
永遠の変化どころか、
明日には元に戻っているだけだ。



ストーリーというのは、
永遠の変化を描く。
これが始まる前に、戻ってしまうことはない。
それではそのストーリーの意味がないからである。

その経験をしたことで、
一生もうもとに戻ることがないことになるのが、
ストーリーである。

その変化が、テーマだ。


よい広告は、
そのテーマを美しく短い文に託すことが多い。
キャッチコピーという文化である。
そしてそれは、
主人公の変化から察せられるテーマであると同時に、
訴えたい商品がもつテーマにもなっていることが、
このストーリーが広告である意味だ。

この場合、
いうまでもなく、オリンピックのことである。

勇気を出すこと。
意思をつらぬくこと。
これこそが、東京オリンピック2020の意味で、意義である。
そういう広告であるわけだ。




さて。次回で最終回。
没の脚本をアップする。
posted by おおおかとしひこ at 10:19| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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