リライトをし過ぎると見失うことのひとつ。
最初から書いていくときは、
たぶん無意識にやっていることで、
うまく最後まで書けたら、
たぶん自分がそう成功していることに気付かない。
うまく書けているときは、
「世界が拡大するように」書いているはずだ。
それは、経験、疑似体験として考えれば分かることだ。
一回経験したこと、もうわかってしまったことに戻るのは退屈だ。
だから、
一回経験したこと、わかったことは、
省略したり飛ばしたりして次にいく。
いわずもがな、ということだから。
しかし、うまくいかないときは、
そういう省略がうまくいかないことが多い。
一回やったことを繰り返したり、
まえやったレベルよりも下のことや、
同じレベルのことを繰り返していたり、
以前の縮小した設定前提に戻ったり。
「前やったことからくらべたら、これは省略すべきである」
という客観性がうまく機能していないことがある。
「四天王の最初は最弱でなければならない」
とでもいえば、その重要性は理解できるだろうか。
もし四天王の二番や三番が、一番より弱かったら、
退屈になる。
どんどん強くなっていくから面白い。
「どんどん強くなっていく」ということを、
脚本の言葉でいえば、
「危機がどんどん釣りあがっていく」ということである。
危機や困難が下がっていくと面白くない。
文字通り盛り下がるわけだ。
どんどん困難は上がっていかないと、
盛り上がらないというわけだ。
これはなかなかに難しいところである。
レベルをどんどん上げていくということは、
より解決を考えることは難しくなっていくからだ。
つまり書き手は、
話が進めば進むほど苦しまなければならない、
ということを意味するわけだ。
ちなみに観客は作者の苦しみなんかどうでもいい。
今盛り上がっているか、
盛り下がっているのかに、
興味がある。
だからテクニックとしては、
最初は簡単な課題のクリアを描く、という手がある。
ゲームの一面のように、
その世界のルールがわかるように作るわけだ。
しかしそれは完全に解決したわけではなく、
センタークエスチョンの糸口にすぎない、
という風にして、
課題の困難さを上げていくといいわけである。
作者が苦しむのは、
まさにここであることが多い。
以前よりもむずかしい課題を考え、
より劇的に、より大逆転で成功しなければならないわけである。
どんどん課題が困難になっていく、
その上り坂が面白いほど、
同程度の困難さでは盛り下がる。
その勢いのままの次(の上)を予測するからだ。
つまり、ハードルは上がり続けるのである。
「今まで必死でクリアしてきたのに、
さらにこれをどうやって超えるというのだ?」
という盛り上がり(=期待)だ。
作者はこのハードルを、
いかにも最初からうまく用意してあったかのように、
次々クリアしていかなければならない。
さて。
第一稿でこれを意識し、実行するのは、
(困難ではあるが)不可能ではない。
問題はリライトのときにおこりやすい。
リライトにおいては、
順番や構成を変えることは日常茶飯事である。
ストーリーの都合やもろもろでだ。
しかしこれをやってしまうと、
「四天王の強さの順が前後してしまう」ことが、
まれによくあるのである。
リライト段階でそこまで気付ける人は少ない。
他のことに気を取られていることがほとんどだからだ。
で、ようやく本題になる。
世界が広がっていくように、
書いていけているか?
会話の一つ一つ、
シーンの一つ一つ、
展開の一つ一つが、
設定の一つ一つが、
次々に世界が広がるように書いていると、
規模が拡大しているようになり、
危機や解決課題のレベルが、
増大していけるようになってゆく。
世界は上下だけではない。
広がりや深さもある。
過去から未来もある。
どの次元でもいいから、
「世界がどんどん拡大していく」
ように書ければ、大体あっている。
そのセリフは、そのシーンの順番は、
その展開は、その事実関係は、その設定は、
拡大していっているか?
そうなっていない箇所が、
停滞であり、退屈なポイントになっている可能性の高いところである。
2018年04月10日
この記事へのコメント
コメントを書く