2018年04月11日

世界の拡大と男女差

また男女論を絡めてみる。


男は世界を切り拓くのに快感を覚える。
女は今ある世界の差異を比べるのに快感を覚える。

これは統計的な有意差がある。
個人ではバラバラだが、
大きな層として見れば、
その平均に差がある。

つまり、
男は展開を「世界の拡大」と見るときに快感を感じて、
女は展開を「差異の比較追求」と見るときに快感を覚える。
個人の話ではなく、
あくまで確率的な差の話。


しかし、世界に冒険する場所が減ってしまったのが、
男にとっては悲しいところだ。
「レディプレイヤーワン」の予告を見たとき、
もう新世界はリアルワールドに見出さないほど、
世界が寸詰まりになってしまったのだなあと感じた。

大航海時代は楽しかっただろうなあ。
アポロ計画のロマンは、世界の拡大の快感だ。
火星は新天地としては遠すぎる。
月も何もなさそうだし。
宇宙や銀河やダークマターは、電波望遠鏡でしか見れない新天地だなあ。
(インターステラーが新しく見えたのは、
ブラックホールの一般性相対論効果をはじめて使ったことで、
つまりは新天地だったからだ)

資本主義は上級国民の寡占なんだな、
と、総中流からいつのまにか階級社会に転じた日本人は、
もう新天地なんてないんじゃないかと、
うっすら思っている。

この男の元気のなさに比べて、
女は元気だ。
世界の拡大は必要ない。
違いを延々比べているだけで快感だからだ。
インスタなどのSNSはこれに向いているメディアだと思う。
通信しあうこと自体が女にとっての快感だからね。
(勿論集団としての差の話であり、
個人の話ではない)


ここから仮説。

女が映画を見るときに、
展開=世界の拡大なんて、
どうでもいいんじゃなかろうか?

誰と誰が仲がいいとか、
誰がどういう服を着てるかとか、
誰が誰のことをどう思っているのかとか、
そこしか見てなくて、
それ以外はどうだっていいんじゃないか?

勿論極論をしている。

つまり、
物語の展開なんて女にとってはどうでもいい説、
という乱暴な論が成り立つ。

逆に男は、
こまけえことはいいから次の拡大を見せろや、
と考えているのかも知れなくて、
それはそれで乱暴すぎる要求なのかもしれない。



さて、
我々がやるべきことは何か?

両方の快感を用意することだ。
どちらも面白いようにするのが、
脚本という中身である。

違いばかりを追求して、世界の拡大を置き去りにしないこと。
世界の拡大ばかりインフレしていて、
差異のことを無視してしまわないこと。

腰を落ち着け過ぎてもいけない。
止まらずに置いてけぼりにしてもいけない。

どちらかに偏っていると感じたら、
逆を考えてみよう。
常に両輪だ。
posted by おおおかとしひこ at 23:13| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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