また男女論を絡めてみる。
男は世界を切り拓くのに快感を覚える。
女は今ある世界の差異を比べるのに快感を覚える。
これは統計的な有意差がある。
個人ではバラバラだが、
大きな層として見れば、
その平均に差がある。
つまり、
男は展開を「世界の拡大」と見るときに快感を感じて、
女は展開を「差異の比較追求」と見るときに快感を覚える。
個人の話ではなく、
あくまで確率的な差の話。
しかし、世界に冒険する場所が減ってしまったのが、
男にとっては悲しいところだ。
「レディプレイヤーワン」の予告を見たとき、
もう新世界はリアルワールドに見出さないほど、
世界が寸詰まりになってしまったのだなあと感じた。
大航海時代は楽しかっただろうなあ。
アポロ計画のロマンは、世界の拡大の快感だ。
火星は新天地としては遠すぎる。
月も何もなさそうだし。
宇宙や銀河やダークマターは、電波望遠鏡でしか見れない新天地だなあ。
(インターステラーが新しく見えたのは、
ブラックホールの一般性相対論効果をはじめて使ったことで、
つまりは新天地だったからだ)
資本主義は上級国民の寡占なんだな、
と、総中流からいつのまにか階級社会に転じた日本人は、
もう新天地なんてないんじゃないかと、
うっすら思っている。
この男の元気のなさに比べて、
女は元気だ。
世界の拡大は必要ない。
違いを延々比べているだけで快感だからだ。
インスタなどのSNSはこれに向いているメディアだと思う。
通信しあうこと自体が女にとっての快感だからね。
(勿論集団としての差の話であり、
個人の話ではない)
ここから仮説。
女が映画を見るときに、
展開=世界の拡大なんて、
どうでもいいんじゃなかろうか?
誰と誰が仲がいいとか、
誰がどういう服を着てるかとか、
誰が誰のことをどう思っているのかとか、
そこしか見てなくて、
それ以外はどうだっていいんじゃないか?
勿論極論をしている。
つまり、
物語の展開なんて女にとってはどうでもいい説、
という乱暴な論が成り立つ。
逆に男は、
こまけえことはいいから次の拡大を見せろや、
と考えているのかも知れなくて、
それはそれで乱暴すぎる要求なのかもしれない。
さて、
我々がやるべきことは何か?
両方の快感を用意することだ。
どちらも面白いようにするのが、
脚本という中身である。
違いばかりを追求して、世界の拡大を置き去りにしないこと。
世界の拡大ばかりインフレしていて、
差異のことを無視してしまわないこと。
腰を落ち着け過ぎてもいけない。
止まらずに置いてけぼりにしてもいけない。
どちらかに偏っていると感じたら、
逆を考えてみよう。
常に両輪だ。
2018年04月11日
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