2018年04月13日

対比の上手さ(「ダンガル」評2)

対比によって生まれるのは、
両者の差という焦点である。

二つは何が違うのか、どうして違うのか、
それがストーリーになってゆく。
以下ネタバレで。


この映画のファーストシーンはとても優秀だ。
アンテナのちょっとしたギャグはおいといて、
オリンピックの中継を聞きながらの喧嘩シーンは、
とても面白いアイデアだった。

背の高いやつと低いやつの対比、
慢心する奴と信念の対比、
そして面白いのは、絵と音の対比だ。

中継とシンクロしている、というのは、
思いつきそうで思いつかない。
これによって、この映画ただものではないぞ、
という雰囲気が漂ってくる。
こういうパターンは見たことがないからだ。

決着がついての、
州代表と全国代表、の対比会話が最高だった。

そしてこの「絵と音の対比」は、クライマックスでも繰り返される。
いうまでもなく、
閉じ込められた父親が、
国歌で金メダルを知るシーンだ。

ここの号泣ポイントはほんとにうまかった。
この瞬間を一生待ち望んだ父親が、
金メダルを知ることはできないのか、
と思わせておいての、
暗闇からの大逆転。

インドを強くしたい、
という純粋な思いから発展してきたこと(役所での絶望が効いている)と、
自分が果たせなかった夢と。
その両方を満たす最高の、国歌という使い方。
想像させることが文学である。
歌から光景を想像するその面白さ。

音での表現において、歴史的な発明場面だと思った。



対比は、いうまでもなく、強烈なほうがいい。
この強烈さにおいて、
インド映画にまさるものは(今のところ)ない。

冒頭の絵と音の対比は、まずは軽いツカミにすぎない。
クライマックスでの絵と音の対比は、
絵が真っ暗闇という絶望なのに、
音が最高の栄誉という、真逆のものになっているのが素晴らしい。

セットアップの、父親の狂気と周囲の対比。
(役人、母親、子供たち、鶏肉おやじ)

女の子が試合に出場するなんて、からの対比。
(最初に勝った50ルピーを使わずに、
アルバムに貼ってあるのがすごいよかった。
あのお金を使えない気持ちは、すごくよくわかる)

田舎の手製マットと、本当の試合のマットの対比。
(あのマジックで書いただけのイーゼルのマットの絵は、本当によかった。
夢とは、ああいう形をしているのだ。
そして本物のマットの感触を確かめるシーンも印象的だった)

そして後半の悪役、コーチがとてもよい。
自由と田舎の縛りの対比。
古い技と新しい技の対比。
最新のコーチをうけた姉と、
旧態依然の妹の対比。

田舎に帰ってからの、姉と父親の試合が、
たまらなくよかった。
レスリングは、ケガなく肉体をぶつけ合う、
最高のケンカなのだとわかった。

父親越えが、肌感覚の、すさまじい感情をもつ。
星飛雄馬が一徹を超えるよりも、
直接的で胸に迫る。

なんせ土まみれで、父親が苦しそうで、
うれしくなさそうなのがとてもよかった。
つぎのシーン(だまって夕飯を食べる。せっかくの帰省なのに)
のお通夜ぶりがすごかった。

これらの強烈な対比からの、
コーチのやり方と父のやり方の対比が、
きちんと焦点があったまま展開されるのが、
すばらしく良い。

「防御と攻撃」のただ一点に絞ったから、
我々レスリング素人でも、
今なにが起こっているのか、
姉がコーチのやり方に従っているのか、
父のやり方に従っているのか、
分かりやすいのが良かった。

(そしてコーチが、
いざ姉が活躍し始めると自分の手柄にする小物ぶりも、
すさまじく良かった。
最初から偉そうなのもすごくよかった。これも対比だ)

つまり、
ただのレスリングの試合に、
父の思いをかなえること、
コーチに従うのか父に従うのか、
という、「文脈」が仕込まれていることに注意されたい。

わたしたちは、父親にものすごく感情移入している。
だから姉の一挙一投足に、
その焦点がかなえられるのかどうか、とても注目してみることになる。
それが「攻撃か、防御か」という、
見た目で最もわかりやすいものになっていたことが、
この映画が成功した原因だ。


第二ターニングポイント、
決勝の前に父と姉が戦略を話すシーン。
インドの女性の地位の話はなかなかよい。
近代化の先駆者としての責任も負うというのがよい。
ヒーローとは責任でもある。
戦う意味が大きくなっていくのはいいよね。

ビジュアル上はただの戦いに、
意味や意義がどんどん増えていく。
それがストーリーだ。
意味を重ねていくのだ。
(しかし父親役の役者、冒頭のシーンの若々しさと、
もう体がダメっぽい中年の役作りは、
一体どうなっているのだろうか。
今日本の役者でここまでやる人いるのかなあ。
こういう対比もよいよね。
調べたところ国民的スターだそうです)



様々な対比は、両者の差を浮き彫りにして、
ここに注目してください、
という焦点を提出する。
そして、物語とは、
他人との争い、コンフリクトであったことを思い出そう。

両者(三者以上のこともあるが)は、
その焦点で対比され、
その間にこそ、
問題があるのである。

そしてその対比が、
この映画では、この上なく強烈なのだ。
誇張なのかなんなのかわからないくらいのね。

面白くならないわけがない。
posted by おおおかとしひこ at 13:49| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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