対比によって生まれるのは、
両者の差という焦点である。
二つは何が違うのか、どうして違うのか、
それがストーリーになってゆく。
以下ネタバレで。
この映画のファーストシーンはとても優秀だ。
アンテナのちょっとしたギャグはおいといて、
オリンピックの中継を聞きながらの喧嘩シーンは、
とても面白いアイデアだった。
背の高いやつと低いやつの対比、
慢心する奴と信念の対比、
そして面白いのは、絵と音の対比だ。
中継とシンクロしている、というのは、
思いつきそうで思いつかない。
これによって、この映画ただものではないぞ、
という雰囲気が漂ってくる。
こういうパターンは見たことがないからだ。
決着がついての、
州代表と全国代表、の対比会話が最高だった。
そしてこの「絵と音の対比」は、クライマックスでも繰り返される。
いうまでもなく、
閉じ込められた父親が、
国歌で金メダルを知るシーンだ。
ここの号泣ポイントはほんとにうまかった。
この瞬間を一生待ち望んだ父親が、
金メダルを知ることはできないのか、
と思わせておいての、
暗闇からの大逆転。
インドを強くしたい、
という純粋な思いから発展してきたこと(役所での絶望が効いている)と、
自分が果たせなかった夢と。
その両方を満たす最高の、国歌という使い方。
想像させることが文学である。
歌から光景を想像するその面白さ。
音での表現において、歴史的な発明場面だと思った。
対比は、いうまでもなく、強烈なほうがいい。
この強烈さにおいて、
インド映画にまさるものは(今のところ)ない。
冒頭の絵と音の対比は、まずは軽いツカミにすぎない。
クライマックスでの絵と音の対比は、
絵が真っ暗闇という絶望なのに、
音が最高の栄誉という、真逆のものになっているのが素晴らしい。
セットアップの、父親の狂気と周囲の対比。
(役人、母親、子供たち、鶏肉おやじ)
女の子が試合に出場するなんて、からの対比。
(最初に勝った50ルピーを使わずに、
アルバムに貼ってあるのがすごいよかった。
あのお金を使えない気持ちは、すごくよくわかる)
田舎の手製マットと、本当の試合のマットの対比。
(あのマジックで書いただけのイーゼルのマットの絵は、本当によかった。
夢とは、ああいう形をしているのだ。
そして本物のマットの感触を確かめるシーンも印象的だった)
そして後半の悪役、コーチがとてもよい。
自由と田舎の縛りの対比。
古い技と新しい技の対比。
最新のコーチをうけた姉と、
旧態依然の妹の対比。
田舎に帰ってからの、姉と父親の試合が、
たまらなくよかった。
レスリングは、ケガなく肉体をぶつけ合う、
最高のケンカなのだとわかった。
父親越えが、肌感覚の、すさまじい感情をもつ。
星飛雄馬が一徹を超えるよりも、
直接的で胸に迫る。
なんせ土まみれで、父親が苦しそうで、
うれしくなさそうなのがとてもよかった。
つぎのシーン(だまって夕飯を食べる。せっかくの帰省なのに)
のお通夜ぶりがすごかった。
これらの強烈な対比からの、
コーチのやり方と父のやり方の対比が、
きちんと焦点があったまま展開されるのが、
すばらしく良い。
「防御と攻撃」のただ一点に絞ったから、
我々レスリング素人でも、
今なにが起こっているのか、
姉がコーチのやり方に従っているのか、
父のやり方に従っているのか、
分かりやすいのが良かった。
(そしてコーチが、
いざ姉が活躍し始めると自分の手柄にする小物ぶりも、
すさまじく良かった。
最初から偉そうなのもすごくよかった。これも対比だ)
つまり、
ただのレスリングの試合に、
父の思いをかなえること、
コーチに従うのか父に従うのか、
という、「文脈」が仕込まれていることに注意されたい。
わたしたちは、父親にものすごく感情移入している。
だから姉の一挙一投足に、
その焦点がかなえられるのかどうか、とても注目してみることになる。
それが「攻撃か、防御か」という、
見た目で最もわかりやすいものになっていたことが、
この映画が成功した原因だ。
第二ターニングポイント、
決勝の前に父と姉が戦略を話すシーン。
インドの女性の地位の話はなかなかよい。
近代化の先駆者としての責任も負うというのがよい。
ヒーローとは責任でもある。
戦う意味が大きくなっていくのはいいよね。
ビジュアル上はただの戦いに、
意味や意義がどんどん増えていく。
それがストーリーだ。
意味を重ねていくのだ。
(しかし父親役の役者、冒頭のシーンの若々しさと、
もう体がダメっぽい中年の役作りは、
一体どうなっているのだろうか。
今日本の役者でここまでやる人いるのかなあ。
こういう対比もよいよね。
調べたところ国民的スターだそうです)
様々な対比は、両者の差を浮き彫りにして、
ここに注目してください、
という焦点を提出する。
そして、物語とは、
他人との争い、コンフリクトであったことを思い出そう。
両者(三者以上のこともあるが)は、
その焦点で対比され、
その間にこそ、
問題があるのである。
そしてその対比が、
この映画では、この上なく強烈なのだ。
誇張なのかなんなのかわからないくらいのね。
面白くならないわけがない。
2018年04月13日
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