ストーリーとは変化である。
主人公やその他の人々が、内面的に変わることこそ、
ストーリーの結果であり、その価値だ。
それは頭では分かったとして、
なぜそのように書けないのか?
それは、「人は簡単には変わろうとしない」からだ。
たとえばダイエット。
余程でなければやらないだろう。
あなたが100キロだとして、
60キロへのダイエットをするのに、
どれくらいやらなければならないかを想像したまえ。
つまり、人は困難なことはやらないのだ。
めんどくさいからね。
もし大きな変化を描きたかったら、
そしてそれがストーリーの大いなる価値になるのなら、
余程困難なことをクリアしなければならない、
ということである。
メアリースーが浅はかなのもそれだ。
自分はボタン一つ押したぐらいの困難さで、
世界を救う達成をして、
都合よく大きな変化をするから、
おかしなことになるのだ。
つまり困難さと、変化量と、価値は、比例する。
このあたり前のことを、
書くときには忘れがちだ。
だって人は本質的には、
困難から逃げたいからだ。
したがって、
困難さやめんどくささに立ち向かうには、
それなりの動機が必要なのだ。
前にニンジンをぶら下げる方法、
後ろからつり橋を切ってしまう方法は、
この代表的な分類である。
で、本題。
困難に立ち向かうのはなぜか?
その最も簡単な初期設定は、
「困っている」とするとよい、
ということだ。
主人公は困っているのだ。
何故かはあなたが設定しなさい。
道に迷っている。
人生という道に迷っててもよい。
他人から嫌がらせを受けている。
モテない。
バカだ。
成績が悪い。
デブである。
悩んでいる。
許せないことがある。
なんだっていい。
その困り具合が、
深刻であればあるほど、
困難に立ち向かう強さになるだろう。
だって困ってるんだから。
100キロの人が60キロにならないのは、
困ってないからなんだ。
もしとても困っていて、
どうしても60キロになりたいなら、
三年かかってもダイエットするよ。
親指シフトやその他の配列が普及しないのも、
「別にローマ字で困ってないし」というのが、
大きな理由だろう。
僕はqwertyローマ字に大変困っていた。
だから1年以上かけて、
新しい文字の打ち方をつくり、マスターし、
楽に10分1200字(トップスピード)を打つ技能を得た。
qwertyローマ字じゃあ530が限界で、
しかも指が痛くなり、
つまりは大変困っていたのである。
ついでに言うと、
僕はこの三ヶ月週2でプールに通っていて、
一日一食必ず蕎麦を食べる生活をしている。
それは高血圧治療のためで、
最近ようやく境界から脱出できた。
つまり困っていたから、
それだけのことをできるわけだ。
困ってなければ、人は自ら動かない。
誰かの為に何かするのは、
その人が好きかお金を貰えるかのどちらかだ。
困ってるから、自ら何かをする。
たとえ止められても。
どんなものでもいい。
主人公をとても困らせるんだ。
そうすれば、その人は困難に対して頑張れる。
解決法を自ら探し、
誰かに協力を仰ぎ、
忍耐や我慢や犠牲を払い、
なんとしてでも成し遂げようとするだろう。
鉄の意志の裏には、大いなる「困った」がいるのだ。
それを挫折とか逆境とか不遇とか後悔とかトラウマとか、
どう呼んでも構わない。
あなたは困っているか。
主人公はそれ以上に困らせろ。
あなた以上に行動するだろう。
あなたの困難なんて、主人公の「困った」に比べれば、
大したことないんだぜ。
つまり最も偉大なことを成し遂げるのは、
最も困っている人なのだ。
2018年04月14日
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