2018年04月14日

困ってなければ、人は変わろうとしない

ストーリーとは変化である。
主人公やその他の人々が、内面的に変わることこそ、
ストーリーの結果であり、その価値だ。

それは頭では分かったとして、
なぜそのように書けないのか?

それは、「人は簡単には変わろうとしない」からだ。


たとえばダイエット。
余程でなければやらないだろう。

あなたが100キロだとして、
60キロへのダイエットをするのに、
どれくらいやらなければならないかを想像したまえ。

つまり、人は困難なことはやらないのだ。

めんどくさいからね。



もし大きな変化を描きたかったら、
そしてそれがストーリーの大いなる価値になるのなら、
余程困難なことをクリアしなければならない、
ということである。


メアリースーが浅はかなのもそれだ。
自分はボタン一つ押したぐらいの困難さで、
世界を救う達成をして、
都合よく大きな変化をするから、
おかしなことになるのだ。

つまり困難さと、変化量と、価値は、比例する。

このあたり前のことを、
書くときには忘れがちだ。

だって人は本質的には、
困難から逃げたいからだ。


したがって、
困難さやめんどくささに立ち向かうには、
それなりの動機が必要なのだ。

前にニンジンをぶら下げる方法、
後ろからつり橋を切ってしまう方法は、
この代表的な分類である。



で、本題。

困難に立ち向かうのはなぜか?

その最も簡単な初期設定は、
「困っている」とするとよい、
ということだ。


主人公は困っているのだ。

何故かはあなたが設定しなさい。


道に迷っている。
人生という道に迷っててもよい。
他人から嫌がらせを受けている。
モテない。
バカだ。
成績が悪い。
デブである。
悩んでいる。
許せないことがある。

なんだっていい。
その困り具合が、
深刻であればあるほど、
困難に立ち向かう強さになるだろう。

だって困ってるんだから。

100キロの人が60キロにならないのは、
困ってないからなんだ。

もしとても困っていて、
どうしても60キロになりたいなら、
三年かかってもダイエットするよ。


親指シフトやその他の配列が普及しないのも、
「別にローマ字で困ってないし」というのが、
大きな理由だろう。

僕はqwertyローマ字に大変困っていた。
だから1年以上かけて、
新しい文字の打ち方をつくり、マスターし、
楽に10分1200字(トップスピード)を打つ技能を得た。
qwertyローマ字じゃあ530が限界で、
しかも指が痛くなり、
つまりは大変困っていたのである。

ついでに言うと、
僕はこの三ヶ月週2でプールに通っていて、
一日一食必ず蕎麦を食べる生活をしている。
それは高血圧治療のためで、
最近ようやく境界から脱出できた。
つまり困っていたから、
それだけのことをできるわけだ。

困ってなければ、人は自ら動かない。
誰かの為に何かするのは、
その人が好きかお金を貰えるかのどちらかだ。
困ってるから、自ら何かをする。
たとえ止められても。


どんなものでもいい。
主人公をとても困らせるんだ。

そうすれば、その人は困難に対して頑張れる。
解決法を自ら探し、
誰かに協力を仰ぎ、
忍耐や我慢や犠牲を払い、
なんとしてでも成し遂げようとするだろう。

鉄の意志の裏には、大いなる「困った」がいるのだ。

それを挫折とか逆境とか不遇とか後悔とかトラウマとか、
どう呼んでも構わない。


あなたは困っているか。
主人公はそれ以上に困らせろ。
あなた以上に行動するだろう。

あなたの困難なんて、主人公の「困った」に比べれば、
大したことないんだぜ。



つまり最も偉大なことを成し遂げるのは、
最も困っている人なのだ。
posted by おおおかとしひこ at 15:22| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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