2018年04月16日

オープニングはどこまでか

最初〜主人公が最初の行動をするまで。


オープニングといえば、
なんでもわくわくするものである。

新しい映像とスタッフクレジットが流れる、
クレジットシークエンスは映画の華だ。
(007シリーズはこれが毎回気合入っていることで有名)

他にも、
すごい事件やセンセーショナルなところから始めて、
(たとえば過激な惨殺シーンから始めたり、爆発から始めたり、
ファーストバトルから入ったり)
一気に世界に巻き込むこともよくある。

いろんなツカミを用意して、
なるべく早くこの世界に入ってほしい、
ということがあるのだろう。


ところで。

そのオープニングは、
最初からどこまでだと考えるべきか、
というのを、脚本の立場から考えたいのだ。

たとえばクレジットシークエンスが終わったときが、
そのオープニング終わりだと思ってやしないか、
という警告をしようとしている。


クレジットシークエンス、
たとえば007シリーズのようなものは、
それがある間、ストーリーは進行していない。
扉のような役割は果たすが、
進行はしていないことに注意。

つまり、これはストーリー進行にとって、
「邪魔」な存在であることに注意されたい。
その止まっている間、ストーリーは足踏みをしているのである。

これをきらって、
クレジットシークエンスでありながら、
ストーリー進行を同時にしているタイプもあると思う。
これはなかなか賢いと僕は思う。


華麗なるオープニングがまったくないものもある。
それは最初からストーリー進行が行われているはずだ。

ということで、
オープニングはどこからどこまでと考えるべきか、
というのが本題。


結論から言うと、
主人公が最初の行動を始めるところが、
オープニングの終わり、
と考えるとよい。

ストーリーにおいて、
セットアップの最初とは、
状況や主人公の置かれた設定のようなものを示し、
最初の事件が起こるところである。

主人公はそれに対し、
なにかリアクションをするだろう。
ある感想をもったり、
なにか言うだろう。

しかし最初はなにもしないものだ。

ことを荒げないように、
普段は生きているからである。

にも拘わらず、
いろいろな事情で、
主人公は、
最初の、非日常と日常の間の、
どちらともいえない行動に出るはずだ。

たとえば恋したなら、
いきなり告白するなんて非日常ではなく、
挨拶をしてちょっと話すとかの、
「日常に一見見えるが主人公にとっては非日常の行動」
のようなものである。
いやべつに日常の範囲内で、
けっして特別なことじゃないですよ、
と、言い訳が出来る範囲というか。

その、 ちいさな行動にでる瞬間までが、
オープニングである、
という定義を、僕はするとする。



物語というのは、主人公の行動の記録で記述される。
物語の骨格というのは、
主人公の行動のリストである、
といっても過言ではない。

で、その一行目以降が、
ストーリーの本体だ。


ということで、自動的に、
その前までが、オープニングである、
という解釈になるわけだ。

これが長すぎるとどうなるか。
いつまでたってもストーリーが始まっていないようなものになる。
短すぎるとどうなるか。
なんで行動するのかよくわからない、
状況がつかめないまま置いていかれることになる。
感情移入もなにもない感じのものになる。


たいていの初心者は、
オープニングをながくしてしまう傾向にある。
オープニングというのは、
クレジットシークエンスのようなものだと思っていて、
それが終わって、
状況設定からがストーリーだと。
違う。まだストーリーは始まっていない。
まだ設定しているだけだ。

ストーリーとは主人公の行動で記述される。
ということは、行動がない部分は、
ストーリーには含まれないのだと考えるべきであるということ。


ということで、
クレジットシークエンス、
状況設定、主人公の設定、
事件、行動開始、
までが、全部オープニングになってしまうのだ。

これが5分ならまあいいけど、
15分もかかることを想像すると、
「全然話が始まらんなあ」という感覚になってしまう。

クレジットシークエンスの前に、
なんかプロローグのようなものを入れてしまうと、
さらにオープニングがふくらんでしまうということである。
プロローグはなぜか素人ほど入れたがる傾向にある。
「映画っぽいことに見える」からではないかと僕は思っている。
つまりはそれに酔っているだけの可能性がある。

ということで、
初心者の書くストーリーは、
オープニングがとても長くなってしまい、
ストーリーがちっとも始まらない欠点がある。


始まらないから展開も遅く、
結果に来るまで十分に描けず、
物足りないストーリーにしかならない。

で、うまいこといかない、と悩むことになるのだ。


問題はオープニングにあるのかもしれないよ。


クレジットシークエンスなんて考えるな。
センセーショナルなオープニングなんて考えなくていい。
状況設定、
主人公のファーストエピソードで感情移入、
そして事件が起こり、
行動開始。

それが5分から7分以内に起こっているのが、
いい脚本であると思う。
べつに1分でも3分でも構わない。
それだけ早く、ストーリー本体にまきこめるはずだ。


あなたはオープニングを書くのに酔っていないか。
そんなことしている暇はない。
はじまって数分以内に、
主人公が確固たる自分の意思を見せて、
行動を開始しないと、
そのあとのストーリー全体で魅了することなんてできないのだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:50| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。