2018年04月27日

Nobody is perfect

名作「お熱いのがお好き」(ビリーワイルダー)
のラストで知られるこのセリフ。
時々人生の重要なところで思い出すようにしている。

完璧なんてない。
こっちがせっかく完璧をつくっても、誰かが崩してしまうこともある。

すべてがうまくいくことはこの世界にはない、
と考えることは、完璧なる神に帰依する思考停止の安楽法かもしれないが。
しかしこういう人生の観察は、物語に使えるというわけなのだ。



つまり完璧な完璧な瞬間は、誰かの非完璧に崩される瞬間があるということだ。

悪意があってやるのではなく、
全知全能でないところから、
これが発生するようにすればよいわけで。
(もちろん悪意があってやってもよい)


コメディリリーフというのがいるのも、
世界は完璧ではない、ということの証拠かもしれない。
もちろん月とLのような完璧合戦も面白いが、
その完璧なのが崩れるのが、
偶然という名の非完璧であることは論を待たないであろう。

あるいは、人が完璧でないことから、
誰かがフォローに回るというドラマを作ることも出来る。

本来フォローしなくてよかった所を、
計画を崩してまでフォローしなくてはならない、
という新しいアドリブを生む要素になるだろう。

こうした不安定感が、ドラマに緊張を与えることになるのだ。


全ては計画通りに進む、と思わせておいての、
アクシデントは定番であるといってもよい。
(「ミッションインポッシブル:ゴーストプロトコル」は、
その豊富なバリエーションのショウケースだ)

むしろ、完璧に計画通りいってなにが面白いのだ、
すら物語の中ではあるだろう。

どこかに穴がある。
人間のやることだからね。


技術的には完璧と思われた仮想通貨が、
そこと関係ない所で完璧じゃなかった、
というのはとても物語的だった。

一見完璧に見える素晴らしい西洋建築は、
日本では建てられない。
湿気対策と地震対策をしていないからである。
前提条件が変わると、解が変わる典型である。


つまり、アクシデントを起こして、
完璧な状況を崩すには、
前提条件を崩す何かを起こせばいいということになる。


完璧と思われた布陣だって、
一人が不倫をしていたことで、
全部崩壊することはよくあるのだ。

仕事と関係ない所が仕事に影響してしまう、
という、「仕事」の前提を崩すようなものが、
やってくるのである。

思えば、忍者の攪乱戦術はこういうものが得意だったように思うよな。
関係ない所で火事を起こすとかね。

オウムの地下鉄サリン事件だって、
本部に査察が入るのを防ぐ、
時間稼ぎの火事を起こす戦術だった。
その間に隠滅された証拠は、たくさんあったはずである。


もっとも、遊動をする必要がないプロットもたくさんあるだろう。
それでも、完璧すぎる進行になるなあ、
段取りくさいなあ、
と思ったら、
Nobody is perfectなことを起こしてみると、
そのフォローにドラマが生まれると思う。


これはロボットを倒す、簡単な方法の一つだ。
工場内で動くようなロボットなんて、
雨の中に連れていけばいいのである。

藤井聡太を止めたかったら、
昼飯が売切れればよいのだ。

ドアをあけたらルンバが道を掃除し続けて、
帰ってこなかった、という話が僕は好きだ。


完璧を一回つくろう。
そしてその完璧を崩すのだ。
実に人間的な理由で。
そこからどうするかが、人間である。
posted by おおおかとしひこ at 10:29| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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