名作「お熱いのがお好き」(ビリーワイルダー)
のラストで知られるこのセリフ。
時々人生の重要なところで思い出すようにしている。
完璧なんてない。
こっちがせっかく完璧をつくっても、誰かが崩してしまうこともある。
すべてがうまくいくことはこの世界にはない、
と考えることは、完璧なる神に帰依する思考停止の安楽法かもしれないが。
しかしこういう人生の観察は、物語に使えるというわけなのだ。
つまり完璧な完璧な瞬間は、誰かの非完璧に崩される瞬間があるということだ。
悪意があってやるのではなく、
全知全能でないところから、
これが発生するようにすればよいわけで。
(もちろん悪意があってやってもよい)
コメディリリーフというのがいるのも、
世界は完璧ではない、ということの証拠かもしれない。
もちろん月とLのような完璧合戦も面白いが、
その完璧なのが崩れるのが、
偶然という名の非完璧であることは論を待たないであろう。
あるいは、人が完璧でないことから、
誰かがフォローに回るというドラマを作ることも出来る。
本来フォローしなくてよかった所を、
計画を崩してまでフォローしなくてはならない、
という新しいアドリブを生む要素になるだろう。
こうした不安定感が、ドラマに緊張を与えることになるのだ。
全ては計画通りに進む、と思わせておいての、
アクシデントは定番であるといってもよい。
(「ミッションインポッシブル:ゴーストプロトコル」は、
その豊富なバリエーションのショウケースだ)
むしろ、完璧に計画通りいってなにが面白いのだ、
すら物語の中ではあるだろう。
どこかに穴がある。
人間のやることだからね。
技術的には完璧と思われた仮想通貨が、
そこと関係ない所で完璧じゃなかった、
というのはとても物語的だった。
一見完璧に見える素晴らしい西洋建築は、
日本では建てられない。
湿気対策と地震対策をしていないからである。
前提条件が変わると、解が変わる典型である。
つまり、アクシデントを起こして、
完璧な状況を崩すには、
前提条件を崩す何かを起こせばいいということになる。
完璧と思われた布陣だって、
一人が不倫をしていたことで、
全部崩壊することはよくあるのだ。
仕事と関係ない所が仕事に影響してしまう、
という、「仕事」の前提を崩すようなものが、
やってくるのである。
思えば、忍者の攪乱戦術はこういうものが得意だったように思うよな。
関係ない所で火事を起こすとかね。
オウムの地下鉄サリン事件だって、
本部に査察が入るのを防ぐ、
時間稼ぎの火事を起こす戦術だった。
その間に隠滅された証拠は、たくさんあったはずである。
もっとも、遊動をする必要がないプロットもたくさんあるだろう。
それでも、完璧すぎる進行になるなあ、
段取りくさいなあ、
と思ったら、
Nobody is perfectなことを起こしてみると、
そのフォローにドラマが生まれると思う。
これはロボットを倒す、簡単な方法の一つだ。
工場内で動くようなロボットなんて、
雨の中に連れていけばいいのである。
藤井聡太を止めたかったら、
昼飯が売切れればよいのだ。
ドアをあけたらルンバが道を掃除し続けて、
帰ってこなかった、という話が僕は好きだ。
完璧を一回つくろう。
そしてその完璧を崩すのだ。
実に人間的な理由で。
そこからどうするかが、人間である。
2018年04月27日
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