>人間はどんな時に変化するのでしょうか。 そこらへんをうまく言語化できずにいます。 脚本を書いていて 「この程度のことで人は分かり合えるのだろうか? 価値観や考え方を変えるのだろうか? 必要なピースが足りていないのではなかろうか?」 などと疑心暗鬼になってしまいます。 ちゃんと描けてるかもしれません。 でもやっぱり描けていないのかもしれません。 人間はどんな時、何を経て価値観や考え方を改めるのか?を 明確に言語化できれば、必要以上に悩まずに済むのではないか と思い質問させていただきました。
頭で理解した時ではなく、
体で理解した時(そのあと頭で理解することも含むかも)
ではないでしょうか。
脚本における変化という言葉は、
「嫌いになったから態度が冷たくなった」
などの一時的な変化を意味しません。
極論すると成長のことを意味します。
ひつじさんはその辺は理解していると思われるので、
このような質問が出るとおもわれます。
で、
この程度で人は変化(成長)するだろうか、
という問いはとても重要です。
テーマにも関わってくる、
最も重要なポイントだからです。
ここで突き放して客観化できると良いのですが、
人はなかなかそうはいきませんね。
そこで、感情移入の力を借ります。
完全な他人を描いていると以下仮定します。
感情移入とは何かというと、
「自分だったらどうだろう」と想像する力でした。
もし上手く感情移入が機能していれば、
作者自身も、
「自分だったらどうだろうか」
と思いながらここまで来ているはずです。
完全なる他人と自分を比較することで、
作品との距離が取れているかと思います。
(自分と主人公を混同してしまうと、
この距離が取れず、客観性のない、独りよがりになるでしょう)
ここまで出来ていれば簡単で、
「自分だったらここで、
考え方を変えるだろうか?
生き方を変えるだろうか?
性格が変わるだろうか?
哲学や信条も変えるだろうか?
(まるで洗脳でもされたかのように)
180度変わってしまうだろうか?」
と考えればよいだけの話です。
もし「否」であれば、
何かが足りないのでしょう。
何が足りないかというと、
「主人公の足掻き」ではないかと思います。
僕はどうやって成長して来たかを思い出すに、
悔しかったり足りないと思ったことが原動力になって、
足掻いて足掻いて、すこしずつできることを増やして来た感じです。
その時に人生観が変わるほどのショック
(いい意味でも悪い意味でも)を受けたこともあります。
ただ本を読んだだけで人は成長しません。
頭で分かったって明日からモテモテにはなりません。
実践するには、
体で体現できるようになる必要があります。
体で覚えるほどのことが、
それまでにあるとよいのではないでしょうか。
物語は体験です。
それは、他人の体験を疑似体験することです。
他人が大変な目にあって、
それをどうにかする体験を疑似体験することで、
その体験から得られた成長を、
疑似体験するわけです。
疑似体験している観客として、
足りねえなあと思えば、
何かが物足りないのでしょう。
いやそれは分かるわあ、と疑似体験でも思えるのなら、
それは成長が描けるほどの体験だと思います。
じゃ、いつ人は成長するのだろう?
なんで、どうして、成長するのだろう?
何が必要で何は必要ではないのだろう?
それを自分なりに表現することが、
実は物語を書くことではないか、
と僕は考えています。
だから、AとBとCが必要なのである、
などという答えはないような気がします。
その他人の変化、成長が、
我が事としてリアルに感じられること、
が必要条件で、
十分条件は自分で用意するほかありません。
一回死んで生まれ変わるほどの体験が最上で、
それをカタルシスなどと申します。
自分の成長を省みてください。
ヒントはそこにあります。
逆にいうと、実人生で成長したことのないやつは、
成長は描けないと僕は考えています。
あるいは、他人の成長話をじかに聞くのもよいです。
仲のいい人に聞いてみましょう。
「え?それくらいで成長しちゃうの?」ということもあるし、
「え?それなのに成長しないの?」ということもあるはず。
成長について観察することは、
人間について考察を深めることであり、
それがあなた自身の「成長とは」を蓄積することになります。
だから、「これが成長である」という、
あなた自身の自信がない限り、
いつまで経っても不安かと思われます。
こればかりは、「人間とは何か」という、
その作家の見方に関わることなので、
これ以上はなんとも言えません。
つまり、作品の数だけ、成長の仕方がバラバラである可能性があります。
一般的な方程式としては、
「弱点があって、
それを克服しなければならない窮地に追いやられ、
自らそれを乗り越えた時」
ということがよく言われます。
参考までに。
2018年04月24日
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