2018年04月25日

なぜキャラが勝手に動いてしまうのか

プロットを超えて、途中でキャラが勝手に動いてしまうときがある。

これは歓迎すべき、注意すべき事態である。


なぜこういうことが起こるのか長年の謎であったが、
最近起こったこれを分析するに、
「このプロットのままじゃ面白くない」
という直観が働いて、
「こうしたほうが面白くなるぞ」という、
「キャラクターから見たストーリーのアドリブ」なのではないか、
ということだ。

書いているときというのは、
冷静と情熱の間にいるものだ。

冷静に客観的に全体を見つつ、
キャラクターの目線からそのテンションを見ている。
同時に目がある状態だ。

で、キャラクターのテンションで、
これから計画されているプロットに突き進んでも、
たいして面白くないという直観があり、
もっと面白そうになるとアイデアを思いつくときが、
キャラが計画にないことをし始める時ではないか。


つまり、
そもそもプロットにあった欠陥を、
現場サイドが現場で直していく過程こそ、
キャラの暴走なのではないか、
と僕は思うわけだ。


この暴走が正しかったかどうかは、
暴走がプロットに戻ってくるときにわかる。

暴走というのはテンションでやることだから、
計画性はないものである。
いずれテンションが落ちてきて、
冷静になり、
計画に戻ることを考えるようになる。

やらなければいけないことを思い出し、
本線に合流するタイミングを考えるときだ。

この暴走のせいで本線がぐちゃぐちゃになっているとよくない暴走で、
うまいこと本線に戻れるのが、
よい暴走だと、僕は考えている。

つまり、暴走が始まった時に、
帰り方を考えて暴走を始めればいいのではないか、
と僕は考えている。

暴走そのものをどうするかは置いといて、
こうやって本線に戻ってこよう、
とメモを残しておく感じ。



帰り方が分からなくなった奴は危険だ。
迷い道にいることは確実で、
まあそういうときはたいてい別のキャラの別場面に飛ばしてしまって、
そこから救いの手を伸ばしていくようにするだろう。
しかしそれが段取り臭くなり、
キャラが暴走し、
ミイラ取りがミイラになることもとてもよくあることだ。

(アドリブばかりで先が読めない仕様にしていた、
「ファイアパンチ」はこうだった。
「スリービルボード」は、ラスト手前までは、
この暴走感がうまく機能していたが、
まとめきれず糞エンドにしかならなかった)



ストーリーではなく、
文章を書いているときですらそうだと僕は思う。
こういう解説文を書いているときでも、
全体をなんとなく考えていた事前のことに比べて、
現場の文章は変わっていく。
それは、
その場で補足が必要だなと感じたり、
これじゃ足りないと思うことから、
出てくるのではないかと思う。
(ファイアパンチやスリービルボードを例に引くつもりは、
書く前にはなかったことだ)


つまり、
キャラの暴走も同じで、
計画では足りないなにかを、
「現場で補おう」とする超意識がはたらいているのだと、
僕は感じる。
それはつまり冷静と情熱の間に、
無意識でいるときに起こりやすいと思う。

全体を見ながら、現場の意識でも見ながら、
同時に見ていられるときに、
こうしたことが起こりやすい。

もっとも、
現場だけの暴走もよくあるので、
その差を見極められるのがベストではあるが。



ということで、
帰り道、もとのプロットとの接続点を意識しながら暴走するのが、
「暴走のコツ」だ。

キャラの暴走は、いい暴走と悪い暴走がある。
悪い暴走はただの悪乗りになってしまうが、
よい暴走はストーリーにいいスパイスをもたらす。


しょっちゅうキャラが暴走するのなら、
それってそもそもプロットが甘いのとちゃうかね。
プロットが段取りに見えてしまうなら、
そもそもプロットが下手なのではないか。
そもそもプロットが詰まらなかったのではないか。


もっとも、完全なるプロットを書く能力は必要ない。
完全なる完成品が出来るほうが優先事項ではある。
どこか詰めてないところがあるものだ、と考え、
それのほころびを現場で見つけたら、
全力で繕えばいいだけのことかもしれない。
posted by おおおかとしひこ at 14:55| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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