リライトの時によくやってしまうのだが。
全体を見直そうとする時に、
部分が気になってしまい、
どんどんよれていってしまうこと。
細かいことはあとでやる。
なぜなら、
大枠がそもそも間違っていたら、
今後の細かい、膨大に時間のかかる作業は、
全て無駄に終わるからである。
そもそもの動機や大きな設定を変えることは、
大枠の変更だ。
そういうことを直すべきかどうか考えなければいけないとき、
「それが」と「それは」で迷っている場合ではない。
登場人物を削るかどうか考えなければいけない時に、
句読点の位置が気になっていてはダメだ。
「気になる」をブロックしなさい。
複数で作っている時に、
大枠を決めなければいけない時に、
細かいところが気になって、
ディテールを議論し始めるバカがいる。
大抵は「だって気になるから」と言い始める。
それはプロではない。
意図的にブロック出来る、律することが出来ないなら、
子供と同じではないか。
気になるのは、木を見て森を見てないからだ。
森の形を考えなければいけないときに、
この葉っぱの形が、
ということをしていてどうするのだ。
逆に、
木を見るべき時に、森を見てもダメだ。
このセリフはこれがベストなのか、
会話はないほうがいいんじゃないか、
改行はするべきかしないべきか、
そういうことに徹底的に悩むべきであり、
そのときに、
オープニングを変えようなどと考えていてはしょうがない。
勿論、その工程は行ったり来たりすることもある。
そのときに、
「今どっちを見るべき時で、
自分はどっちを今見ているのか」
を常に自覚しなければいけない、
ということである。
僕がリライトの時に勧めるのは、
「メモなしでただ一気読みして、
全体の印象をまず捉えて、
全体でリライトするべきかどうか考える。
そこでリライトするべき大枠を、最優先する」
という方法である。
よし、読み直そうと思うと、
細かいところが気になりだして、
ついついメモをし始めて、
森を見るべき時に木を見てしまうことが、
本当によくあるからである。
今何を見てる?
今何を直そうとしてる?
何が気になっていて、それは木か森か?
これらを自覚的にコントロール出来ないと、
リライトなんてやるだけ無駄だ。
迷宮に入るのは目に見えている。
歪な森に奇怪な葉っぱにしかならないだろう。
だったら拙い出来の第一稿が良かったってなる。
それは、あなたが木と森を見ることが下手な証拠である。
2018年04月27日
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