「ダンガル」「きっと、うまくいく」の評を見てると、
必ず出てくる「pk」なるタイトル。
全く内容が想像できないのだが、見てみた。
傑作だ。
どうしてこれほどの傑作が日本で知られていないのか、
配給とは何をする仕事か、厳しく問いたい。
あるいは、映画批評関係者は怠慢か。
ネタバレなしでしばらく続ける。
予告で明らかになっているのは、
「pk」なる謎の変人が、
宗教を批判しているということだ。
彼は神に会いたいのだが、
どの宗教もほんとには神に会わせてくれない。
だから彼は「神、行方不明」のビラを配る。
見つけたら会わせてくれと。
宗教とは何かを、子供の目で茶化す、
批判的コメディだと前半は思わせる。
宗教の国、インドならではだと思った。
自分が知るよりも、ムスリムとの犬猿の仲や、
パキスタンとの争いがあるのだと、
この映画で初めて知る。
敵は教祖。
子供のように「本当の神に会いたい」という彼を、
周りは面白がり、
神とは何か、教祖はインチキではないかと追い詰めていく。
このAストーリーの素晴らしさは、
この公開されているプロットだけでは知ることが出来ない。
よくある普通のプロットではあるからだ。
この物語の素晴らしさは、これと絡み合うBストーリー、
ラブストーリーが強く関係している。
ここをもっと上手に何故伝えられないのか?
配給はバカなんじゃないか?
これは第一線級の失恋物語なのだ。
2時間30分は長い。
インド映画は、一日これに使うつもりでみろ。
その日は何も出来ない。
ずっと彼らの喜びや悲しみとひたれる。
感情移入の素晴らしさを、
インド映画は再確認させてくれる。
以下ネタバレ。
インド映画は恋を歌と踊りで描くことは、
そろそろみんな知っているだろう。
pkの恋の思いを描くミュージカルパートが素晴らしかった。
望遠鏡で覗いたり、
街の噴水で幻の彼女が現れたり、
何もかもが最高の片思いの表現だった。
またヒロインが可愛いんだよ。
僕は「ゴースト/ニューヨークの幻」で、
デミムーアのショートカットに惚れたけど、
それに匹敵するショートカットヒロインのキュートさにメロメロだ。
胸のエロさが完璧だ。
あのグレーの部屋着がエロいというのを知ってて使ってるよな。
元気の出るダンスからの、
名前のシーンからの、
名刺のシーンからの、
元彼への流れはパーフェクトだ。
その後の事件解決へと思わせておいての、
テロによる殺害から、
元彼につながる生放送も完璧だ。
映画史上こんな緊迫感のある生放送は初めてだ。
「スラムドッグミリオネア」のクライマックスとはまた違う、
何が起こるか分からない感じが素晴らしい。
勿論映画なんだから、
ハッピーエンドで悪が滅びるのはわかってる。
でも手に汗握るんだ。
あのヒロインが泣いてるのをみたら、
彼女を笑顔にしてあげなくちゃいけないと、
誰もが思うように、
完璧な誘導がなされていたと思う。
別れの場面で、
テープが全部出てきたのがもうたまらない。
鳥や街の音を聞くって嘘もいい。
僕の星では嘘をつかないっていうのが前半だったからね。
つまり、変化である。
その変化こそがテーマだ。
テーマはなんだろう。
愛というにはおこがましい、言葉に出来ない何かだろう。
朗読(出会いは朗読だった)をしたあと、
父が口笛を吹き続けることで、
全ての伏線を回収したのが完璧だったなあ。
ラストのラスト、また来るのは余計かと思ったけど、
あれがないと泣きっぱなしで終わるから、
あって良かったと思う。
インド映画の良さは、
人が素直すぎることじゃないかと思う。
日本人は大人になってしまって、
喜びや、悲しみや、嫉妬や、悔しさを、
忘れてしまったかのように思える。
私たちはpkとともに、感情の回復の旅に出る。
アーミルカーンよ、お前は最高か。
インドの国宝といっても間違いない。
人として笑い、人として泣き、人として頑張る。
こんな簡単なことを、
やっぱり全力でやろうと思う。
2018年04月28日
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