2018年04月28日

泣かせる天才か(「pk」評)

「ダンガル」「きっと、うまくいく」の評を見てると、
必ず出てくる「pk」なるタイトル。

全く内容が想像できないのだが、見てみた。
傑作だ。
どうしてこれほどの傑作が日本で知られていないのか、
配給とは何をする仕事か、厳しく問いたい。

あるいは、映画批評関係者は怠慢か。

ネタバレなしでしばらく続ける。


予告で明らかになっているのは、
「pk」なる謎の変人が、
宗教を批判しているということだ。

彼は神に会いたいのだが、
どの宗教もほんとには神に会わせてくれない。

だから彼は「神、行方不明」のビラを配る。
見つけたら会わせてくれと。


宗教とは何かを、子供の目で茶化す、
批判的コメディだと前半は思わせる。

宗教の国、インドならではだと思った。
自分が知るよりも、ムスリムとの犬猿の仲や、
パキスタンとの争いがあるのだと、
この映画で初めて知る。

敵は教祖。

子供のように「本当の神に会いたい」という彼を、
周りは面白がり、
神とは何か、教祖はインチキではないかと追い詰めていく。


このAストーリーの素晴らしさは、
この公開されているプロットだけでは知ることが出来ない。
よくある普通のプロットではあるからだ。
この物語の素晴らしさは、これと絡み合うBストーリー、
ラブストーリーが強く関係している。

ここをもっと上手に何故伝えられないのか?
配給はバカなんじゃないか?
これは第一線級の失恋物語なのだ。


2時間30分は長い。
インド映画は、一日これに使うつもりでみろ。
その日は何も出来ない。
ずっと彼らの喜びや悲しみとひたれる。

感情移入の素晴らしさを、
インド映画は再確認させてくれる。




以下ネタバレ。




インド映画は恋を歌と踊りで描くことは、
そろそろみんな知っているだろう。

pkの恋の思いを描くミュージカルパートが素晴らしかった。
望遠鏡で覗いたり、
街の噴水で幻の彼女が現れたり、
何もかもが最高の片思いの表現だった。

またヒロインが可愛いんだよ。
僕は「ゴースト/ニューヨークの幻」で、
デミムーアのショートカットに惚れたけど、
それに匹敵するショートカットヒロインのキュートさにメロメロだ。
胸のエロさが完璧だ。
あのグレーの部屋着がエロいというのを知ってて使ってるよな。


元気の出るダンスからの、
名前のシーンからの、
名刺のシーンからの、
元彼への流れはパーフェクトだ。

その後の事件解決へと思わせておいての、
テロによる殺害から、
元彼につながる生放送も完璧だ。

映画史上こんな緊迫感のある生放送は初めてだ。
「スラムドッグミリオネア」のクライマックスとはまた違う、
何が起こるか分からない感じが素晴らしい。

勿論映画なんだから、
ハッピーエンドで悪が滅びるのはわかってる。
でも手に汗握るんだ。

あのヒロインが泣いてるのをみたら、
彼女を笑顔にしてあげなくちゃいけないと、
誰もが思うように、
完璧な誘導がなされていたと思う。



別れの場面で、
テープが全部出てきたのがもうたまらない。
鳥や街の音を聞くって嘘もいい。
僕の星では嘘をつかないっていうのが前半だったからね。
つまり、変化である。

その変化こそがテーマだ。
テーマはなんだろう。
愛というにはおこがましい、言葉に出来ない何かだろう。

朗読(出会いは朗読だった)をしたあと、
父が口笛を吹き続けることで、
全ての伏線を回収したのが完璧だったなあ。



ラストのラスト、また来るのは余計かと思ったけど、
あれがないと泣きっぱなしで終わるから、
あって良かったと思う。




インド映画の良さは、
人が素直すぎることじゃないかと思う。

日本人は大人になってしまって、
喜びや、悲しみや、嫉妬や、悔しさを、
忘れてしまったかのように思える。

私たちはpkとともに、感情の回復の旅に出る。



アーミルカーンよ、お前は最高か。
インドの国宝といっても間違いない。


人として笑い、人として泣き、人として頑張る。
こんな簡単なことを、
やっぱり全力でやろうと思う。
posted by おおおかとしひこ at 17:22| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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