2018年05月04日

【脚本添削SP2018】7 まずはツッコミ倒す

さていよいよ本番です。
まずは「僕の命はお前が守る」にツッコミを入れ倒してみます。

僕の命はお前が守るツッコミたおし.pdf


えんさんの特徴というか、欠点は、
説明が下手ということですかね。
もっというと、
説明単独になってしまっていて、
ストーリーを進めずに止めてしまうことにあると思います。

ストーリー進行と紹介や説明は同時です。
それはもう意識して慣れていくしかありません。
名作はどうやってそれを成し遂げているか、
先人のものを研究するとよいと思います。


少々気になるのが、
その設定がアニメっぽいというか、ラノベっぽいというか、
実写にするにはリアリティが足りない気がするところです。

戯画化しているわけではない話なのにそういう点が見受けられるのは、
頭の中だけで考えて、
実際の現場に行っていないからではないでしょうか。

殺しの現場や架空の組織に取材するわけにもいかないけど、
実際の軍隊の訓練や、科学の研究所などに、
行ってみることをお勧めします。

ペラペラな絵だけじゃない、
ほんとうの何かが伝わります。

彼らがどうやって飯を食うか、
それを見るだけでリアリティが変わってきたりします。
彼らがどういう冗談を言うかとか、
どういう家族の写真を持っているかとか、
想像しない所まで見て置くとよいです。

この場合はあまり役に立たないだろうけど、
それはあとあと何かの役に立ちます。
それは、
「世界はどのように出来ているか」
という知見をためることになるからです。

アニメっぽい、というのは、
世界がこうやって動いている、
という観察なしに描いているように思います。
(宮崎や富野など、特別な作家は除く)

そこにいるだけのパーツというか、絵というか。
絵じゃん、というか。
そうじゃなくて、
過去があり、それがどうやってここまで来たかということがあり、
それがどうやって成立しているか、
そういうことを感じさせないと、
実在感は出てきません。

どうやって実在感を出すか。
実はそれが作家のオリジナリティなのです。

えんさんの描くキャラクターや設定には、
そういった「実在するかもしれない」
という「その作家独自の考える存在感」が抜けているのです。

簡単にいうとテンプレっぽい。
だからテンプレアニメっぽいのかもしれない。

こればかりは修練しかないので、
人生経験を積む、以外にないかと思います。


僕は「世界がどうやって動いているか」
ということを知ることがその鍵のような気がしていますが、
他の作家はまた別の実在感のことを言うかもしれません。

それは作家次第だと思います。



さて。

色々突っ込んでいるうちに、
ストーリー上、気になる所が出てきました。

護についてです。

自己紹介で「要のクローン」という物凄い設定を作ったわりに、
ハチの部屋に来てからずっと、
ただの子供なんだよなあ。

「中身が大人で外見は子供」なんて美味しいものを、
何一つ使っていない。

しかもホルモンがどうたらという設定を作っておきながら、
ラストの離島には、大人の姿として出てきている。
これは変。

忘れてた、というのが恐らくあり得る原因かと。


このストーリーはなんだ、
そう問うとき、
これはハチのストーリーで、とつい考えてしまい、
護のストーリー「でも」ある、
と考えにくくなってしまうものです。

ハチから見たこのストーリーを考えるので精一杯で、
護まで気が回っていないというか。

護から見たこのストーリーが、
よく考えると分からないんですよねえ。


何故研究室にいたのか?
オリジナルである要博士が殺されたのはいいとして、
彼は何をしていたのか?
関係者として捕まらなかったのか?
(あとあとさらわれそうになっているし)

そもそも護の動機は?
バイオテロの特効薬をWHOに渡すこと?
だとすると、なんで養護院に行こうとするの?

おそらくこの辺は、「考えていなかった」
というのが正解ではないでしょうか。
ストーリーの都合上、
そういう場面が欲しかっただけ、
みたいな。

そういう思いつきのつぎはぎが、
「この世界が実在していない感じ」を少しずつ増幅していくのです。

架空の世界といえど、
「これってほんとにあることかも」
と思わせないと、実写の意味がありません。
(一応実写の脚本としてみています。いや、アニメだって原則は同じ)



で、そろそろこの話のテーマってなんだっけ?
と気になって、
ログラインやタイトルを検証してしまうわけです。

僕の命はお前が守るログライン.pdf


良く分らないなあ。
「ハチがアイデンティティーを得る」
という話だとすると、
護が分らなくなるんですよ。

ということは、護もアイデンティティーを得る、
という話にすると、
繋がっていくんじゃないか、
ということが考えられます。

護は、
「記憶は大人のもの(要)だけど、経験が子供」
という設定にすれば、
うまいこと本編のものを生かしながら、
護もアイデンティティーが揺れていて、
ハチと同様、「自分がだれか」をうまく言えない、
ということにしておくと、
そんな二人が出会って、波長が合い、
ともに成長して自分を見出す、
という王道のバディものになる可能性があります。

(もちろんそうしなくてもいい)


テーマが足りない。
そのテーマについてすべてが注意深くそろえられていない。
過不足が多い。
複数のストーリーラインがなく、
主人公以外の人物が駒にしかなっていない。
(双葉のご都合主義的扱い、特にラスト)

その主人公も、都合よく熱で倒れたりする。


このあたりの膿を出しておいて、
次にどうすればいいのか考えていきましょう。
posted by おおおかとしひこ at 15:55| Comment(2) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつもありがとうございます。
おっしゃる通りで力量のなさを思い知るしかありません。
「20字40行で7.5P以内」だけを念頭においた結果です。
ただ少しだけ言い訳を。
1.ハチが倒れたのは、護が急な来襲にドラフターを締め切ることができなかった為、ドラフターに近づいたハチがウィルスに感染したから。作業台が低いのは護が実験していたからです。(護はハチを救い、ハチは腹が減って寝ていただけの護を助けようとヤブ医者に連絡した)
2.「護が銃を撃った直後、WHOから派遣された国際警察が護を保護し二人は突然別れることに(そのためのSOS)」を割愛しました。
3.毎朝一緒にランニングしていることと、養護施設時代に双葉をハチが助けたことで、二人の気持ちを表していたつもりでした。
4.最後、護を子供のままにするか大人にするかは迷いましたが絵的に面白い方をとりました。WHO機関でホルモン異常の治療を受けた設定です。
ちっぽけな言い訳ですね。自分でも笑ってしまいます。文字数を守るために逆に文字だけでごゴリ押しした結果です。リアルを追求する苦しみから目を背けてしまった、我慢の無さ。名前も含め、護を生かしきれなかったこと。反省します。
チェーホフの言葉、一生忘れません。リライト楽しみにしています。
よろしくお願いします。
Posted by えん at 2018年05月04日 18:41
上手な俳句には隙間があります。

それは省略の美といわれますが、
要するに「いちいち言わなくても想像で補える」
という空白を利用しているわけです。

大人になったのはホルモンが切れたのだろう、
くらいには想像できるくらい、
観客は賢いですよ。

どこまで説明して、どこまで想像の領域とするか、
このへんの線引きはとても難しいです。

とくに枚数との闘いになると途端に訳が分からなくなりますね。

こればかりは「○分で出来ることはこれぐらい」
というカンが必要で、
それってもう経験値そのものなのです。

数を書くしかありません。
ということで、これからまだまだ続きます。
解剖は芯まで到達しないと。
Posted by おおおかとしひこ at 2018年05月05日 12:35
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