2018年05月04日

【脚本添削SP2018】6 ストーリーとその他のものの違い

本格的な添削に入る前に、前記事の補足をしておきます。

ストーリーとはなにか。
この謎に僕は挑んでいます。
それには、「ストーリーでないもの」
をピックアップするとよくわかります。

あなたは、映画や漫画や小説や演劇を楽しむとき、
一体何を楽しんでいるでしょう?


そのキャラクターが好き。
その役者が好きで、出ているものなら何でも好き。
そのキャラクターになりたい。
そのキャラクターをずっと眺めていたい。

ビジュアルデザインが痺れる。
音楽がよくて、体が動き出す。

シチュエーションに萌える。あるいは燃える。

ロケーションがいい。
光線がいい。
心地良くて、ずっとこの世界にいたい。
世界設定がいい。

キャラの設定がわくわくするしかない。
セリフに現れる、その人生観に痺れる。

こういう国が実在するんだ。
こういう文化や格言が実在するんだ。

オープニングが良かった。
ここの視点が良かった。
このシーンの湿度感や温度感が好き。
この役者のこの場面、なんという色気だろう。



これらはすべて、
ストーリーではありません。

ストーリーと呼ばれるものに含まれるものではありますが、
ストーリーそのものではありません。

これらがなくてもストーリーは成立します。
ストーリーはこれらの下にある構造的存在です。
ストーリー構造の上にこれらがかぶさって、
映画や漫画や小説や演劇という作品全体になるのです。

脚本はよく設計図にたとえられますが、
これらの、あとに被せるものを書く事が設計図を書くことではありません。

これらがあとあと被さるであろうことを予測して、
それ以前のさらに原始的な構造を作ることが、
ストーリーづくりで、
それを書くことが脚本を書くことです。

脚本には、
物理的にはセリフや場面が書いてあるため、
そういうものを書くことが脚本を書く事だと誤解されがちです。

でもセリフなんてアドリブで変わるし、
もっといい言い方があるなら、
いくらでも変えたってよいのです。
ストーリーが同じでも、
セリフを変えることは可能です。
(逆にストーリーを変えて同じセリフにすることは難しい)

つまり場面やセリフはストーリーの従属物です。
ストーリーが主で、物理的文字の内容は従です。

「脚本に文字としては書かれていないが、
たしかに流れとして存在するもの」がストーリーです。
目に見えないものなのです。


どういうことかというと、
ストーリーは、
目的、行動、その結果という、
文字としてはどのようにでも表現出来るものが、
その骨格だからです。

目的も、行動も、結果も、
一字一句正確にいうことは出来ません。
書くたびに多少変わってくるもので、
人によっては同じことを言っているのに、
使う言葉が全く被っていないこともあるくらいです。

だとしても、私たちは、
それが同じことを言っているのだな、
ということが分かります。
その同じことが、ストーリーです。

たとえば「桃太郎のストーリー」を100人に書かせると、
言葉は全然違う100種類の文章が出来ます。
しかしほとんどは同じストーリーを表現したものになるでしょう。


だから文字ではとらえづらいのです。

僕は、ストーリーとは触覚である、
なんて言い方をすることがあります。

視覚でも聴覚でも同定できるものではなく、
大体の感触でしか「同じ」とか「違う」とかが言えないからです。

これは感覚的な問題になってしまうのです。



同じストーリーでも、
名前を変えることが出来ます。
役者を変えることが出来ます。
セリフを変えることが出来ます。
音楽を変えることが出来ます。
ビジュアルを変えることが出来ます。
シチュエーションにアレンジを加えることが出来ます。

しかし、
目的や行動やその結果が違うものになると、
ストーリーが別のものになってしまいます。


また、ストーリーには
「結局それ全体でなんの意味があったのか」
というさらに文字にならない全体としての要素があります。
これをテーマといいます。

最悪、
目的や行動や結果が変わったとしても、
テーマが同じなら、
ストーリーは同じと、私たちは考える傾向にあります。

(小説や漫画の実写化は、本来ここを考えないと成立しません。
ストーリーこそが同一であるべきであって、
学芸会のようにビジュアルまねっこゲームをしててもしょうがないのです)



さて。

あなたの大事にしているもの、
あなたの愛しているもの、
あなたがやりたいもの。

それは本当にストーリーですか?

それ、脚本に関係ないやつちゃいますか?


もしそうなら、ここをいくら読んでも、
違うもののことを書いていると思いますよ。


ここは脚本を論ずる所です。
そしてそれらを添削してみようということが、
このシリーズの趣旨です。

あるものがストーリーに属しているのか、
ストーリーに属していないのか、
そこを考えることが、
ストーリーを考えることの第一歩かもしれません。
posted by おおおかとしひこ at 15:42| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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