2018年05月08日

【脚本添削SP2018】12 前に進むこと

ストーリーは、前に進むものです。
それが強力であればあるほど、
それは牽引力、面白さに繋がります。

そんなことはわかっているでしょう。
でもいざ書いてみると、
すぐに行き詰まってしまうことは、経験すると思います。

どうして前に進まないのか。
どうすれば停滞は避けられるのか。
そもそも前に進むって何をすればいいんだ?


前に進むものの起点として、
最も重要なものは、
目的、または動機です。

目的と動機は、使い分けることもあるし、
一緒くたに考えることもあります。
おおむね、具体性がない願望や欲望を動機、
「絵で示せる具体性」があるものを目的といいます。
「お腹がすいた」が動機で、
「人気ラーメン屋に並ぶ」が目的です。

動機を満たせるならば、目的は変更になることもあります。
行列が長ければ、
隣の閑古鳥の鳴いてる蕎麦屋に入っても良いのです。
この場合、
「お腹がすいた」動機を満たせればよし、
と考え、「不味そうな蕎麦だが大盛りを頼んで満足する」
を目的に変更することも可能でしょう。

この目的の変更を、ターニングポイントといいます。
動機はそのままでも、具体目標を変えることは可能でしょう。

有名になりたいという動機を、
ギターの練習をする、から、
通り魔として新聞に載る、
という目的に変えることもあり得ます。


この動機や目的が強ければ強いほど、
ストーリーの前進力は強くなります。

ハリウッドの脚本の教科書では、
「できればこうしたい」を、
「死んでもこうしたい、しなければならない」
に改めよ、とよく言われます。

お腹がすいたなあ、ではなく、
餓死寸前、給料日前で三日間水しか飲んでなかった、
などのようにすればよいのです。



えんさんの前記事のコメントで感じたのですが、
作者本人が行動的でエネルギッシュであるかどうかと、
作品の中の人物がそうかは、
関係ありません。

作者と主人公を混同してはいけない、
というのがメアリースーの原則でした。

あなたが怠惰で消極的な人間であろうが、
エネルギッシュなリア充だろうが、
それとは一切関係なく、
「強い動機で行動する」という人物が、
物語に求められる人物像なだけです。
(そうじゃないと停滞がやってくるので)

この分離が未熟だから、
「おれにはこんな人間はかけないよ」
と落ち込んでしまうのです。


私たちが書いているのはフィクションであり、
実録ではありません。
架空の人物を、作ってよいのです。

また、
とてもエネルギッシュでとても行動的な、
ハイカロリーのアメリカ人が理想でしょうか。
それはお腹いっぱいになりすぎます。

だから架空の人物は、
「リアルで行動しそうな」人物にするべきです。

つまりナンパをバンバンしてやりまくる男よりも、
どうしても声をかけたいぐらい好きな人がいる、
というほうがリアリティがある行動力になるわけです。

それでもちょっとうそ臭ければ、
「今日は卒業式である」というシチュエーションを、
脚本家が用意するわけです。


つまり、
最初から行動的な人物はいません。

人は、動機ときっかけを与えられると、
行動をはじめる、ということです。

誰に言われなくても、勝手に。


部屋でゴロゴロしてお腹が空いているだけでは、
人は飯を食いに行かないかもしれません。

その時に、
近くに新装開店したラーメン屋からいい匂いが漂ってくるとか、
ベッドの下に落とした500円玉を発見するとか、
2時でランチタイムが終わっちゃうとか、
そういうきっかけがあると、
家から出るのです。

行動を描くのが脚本家の仕事ではありません。
きっかけを創作するのが仕事です。


場さえ整えば、誰でもそうするだろう、
という、
上手いこと、リアリティあるように作るのが、
脚本家の仕事なのです。

「誰でもそうするだろう」が重要で、
だから感情移入が起こるのです。

腹減ったなあ、でも外行くの面倒だなあ、
雨も降ってるしこのまま寝ようかなあ、
というシチュエーションで、
急にアメリカ人のように、
「外出するぜヒャッハー!」という、
「行動的な人物」を描いてもしょうがないのです。

誰もがそうならこういう行動はするだろうな、
というシチュエーションを与えてあげればよいのです。

だから「わかるわ」となるのです。


腹が減ったぜ、しかしラーメン屋まで全力ダッシュだ!
は行動ではありますが、感情移入の対象ではありません。
(見世物としては面白い)
しかし、「わかるわ」という「条件の整い」があると、
人は「これは俺かもしれない」と思います。

あるいは、
「これは自分には経験のない世界だが、
もし彼のような状況に陥り、
彼のような条件の整いがあれば、
自分でもこうするだろう」と、
想像できた瞬間、
感情移入が起こります。

その瞬間、ヒャッハーみたいな見世物から、
「登場人物とのシンクロ」が始まるのです。


誰もが、
ヒャッハーな人であったり、
名前のない殺し屋であったり、
博士のクローンで一人で生きたわけではありません。

しかし、
「組織のあり方に疑問を持ち、抜けようと思う」
「初めてできた友達と言われて、協力を決意する」
というハチの行動には感情移入が伴います。

「ずっと一人で生きてきたけど、
遊んでくれて、『名前がないことを気にする必要がない』と言われた男がいることで、
数万人を救えるかも知れない血清の開発協力を依頼する」
という護の行動にも感情移入が伴います。

それは、
「自分にはこんな経験も素性もないが、
もし自分がこんな状況であれば、
きっとこうするだろう」が、
あるからです。



動機が強く、
状況が整えば、
人は勝手に行動します。

そしてそれが「もし自分だったら」と想像し、
「わかるわ」となれば、
感情が動きます。

そしてこの前進する力が強ければ強いほど、
ストーリーは前に進み、
魅力を放つというわけです。


ハチには強い動機があります。
人殺しの組織から抜け、名前を得て人間になること。
護にも強い動機があります。
血清を開発しないと、自分自身(なのか親なのか)が作ったウィルスが、
テロに使われてしまうこと。

(ハチの動機は前方に、護の動機は後方にあります。
前方の動機とは「こうすれば〇〇になる」で、
後方の動機とは「こうしないと〇〇になる」です。
わざと対比的にしてみました)


そしてその強い動機に、
シチュエーションが整うから、
強い行動、強い前進を、
(意図せず)してしまうのです。



さて、これは行動の起点の話でした。


次は「途中」についてです。
posted by おおおかとしひこ at 13:50| Comment(3) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とにかくスッと体に入ってくるシナリオでした。
プロの技、内容含め、大変感動しました。
僕も、もっともっと書かなきゃ!
話はそれからだ。


えんさんにも、もちろん感謝です。
流映ちゃんによろしく。

さて、GW中は片っ端から、特に感情移入についての記事を読ませていただきました。
「理解と賛成」という考え方は、まさに目からウロコで、例えるなら、
とんでもない金脈を見つけた!
って感じです。
GWだけに。

ちなみに、僕が動機と目的を考えるときはいつも、
「うんこ行きたい」
と考えます。
これほど原始的で生理的で、
強い動機はないのではないでしょうか。

当然、トイレに向かうワケですが、
足がしびれて立てません。
Posted by しん at 2018年05月08日 18:51
しんさんコメントありがとうございます。
何かのお役に立てれば幸いです。
ていうかバンバン書いて、日本の糞みたいな脚本状況を変えていかないと。

ちなみに、「小便が漏れそうなのだが、トイレが見つからない」
という原始的と社会的の狭間のコンフリクトから始まる映画が、
「バッファロー'66」です。
予告編が超いい。暗転を上手に使う、という技法をここから盗んだなあ。
小ラブストーリーとしてもなかなかの佳編かと。
Posted by おおおかとしひこ at 2018年05月08日 19:15
早速、予告編観ました。
カッコイイ。レンタル決定。内容次第で購入。
って、ミ、ミッキーローク!?
「レスラー」良き!

僕も大岡さんから、色々と盗ませていただいております。
でも、まだまだ盗み足りない。
毎晩、峰不二子を抱けるくらいの男に
なりたいと思っております。

そして、いつかは観客の心も。
Posted by しん at 2018年05月08日 21:06
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